『通貨の信用、価値、責任とは?』
その通貨に見合った商品があること、それを作り上げる物作りの力を持つこと。
通貨というお金の需要に見合うだけの物作りの力をもつこと、それを満たそうとすること。
それを政府も国民も誰も持とうとしないくていいと言っているように聞こえる。
責任なんて必要ない、誰も負担なんて負わなくてよい。
自分のカネ欲しさに発行したカネの獲得競争を自由にすれば、勝手に物が作られ気が付いたら景気がよくなり、たぶん成長するはずだ。
それを市場が提供してくれる!
国民も政府でさえも、一緒になって自由に競争すればいいんだ!
金も水も土地も食べ物も、なにもかも競走で手に入れる、負けたやつは手はいらない。
勝ち組から滴り落ちてくるおこぼれにすがるだけ。
金持を大金持ちにすれば、下のやつらに落ちるおこぼれも大きくなるだろ。
だから貧乏人を増やして大金持ちを増やそうとなる。
国民同士も国民と政府も競争相手だ!
競走を促す市場が一番大事なんだ!、と。
その考えの行きついた先の一つが、バブルだったのかもしれません。
それとも、デフレの間は誰の負担にもならなず政府と国民は呉越同舟のような蜜月でいられるが、インフレになったとたん政府と国民のどちらが黒星という負担を負うのか、という押し付け合いをするのでしょうか?
負担の押し付け合い、どちらがババを引くのかと相手にだけ押し付けようとする。
『敵となる国民と政府』
政府と国民で勝負競争をして白黒つけなくてはいけなくなるとは、黒という負けたほうが一方的に負わされるのが当然ですね。
誰かの黒星は誰かの白星なのですから。
競走で勝ち負けを決めるという事は、相手を自分とは違う敵とみなすことです。
敵とするなら力を削がなくては負けてしまいます。
以前(『自分達のお金(通貨)を持つということ~和紙職人さんと散髪屋さんとお金と物の価値~』)、通貨を発行することで国民の物作りの力を束ねる、と表現しました。
しかし、束ねて合わせてしまったら、敵(国民)の力が増してしまいます。
ならその力を削ぐために、緊縮して通貨を渡さず増税を繰り返し通貨を過剰に回収し貧乏にさせ、「国民」という「敵」の(物作りの)力を弱体化させる。
敵(国民)の敵は味方だ、という考えで外から安い人をどんどん受け入れ、競走させ敵(国民)の力を減らす。
緊急事態だ!、という名目で自粛をさせるが金はほとんどわたさず、営業時間をへらさせ仕事をへらさせ移動するなと繋がりを分断させる。
そしてバラバラにし弱ったところを、再編するなんて当たりの良い言葉をつかい、弱った人を見捨て、弱った会社をゾンビ企業といって各個撃破し潰していけばよい。
逆もまた同じ。
国民も政府を敵とみなすようになる。
政府に潜り込み、政府の力を自分にいいようにする。
政府に自分ルールをつくりあげさせ利益を得ようとする。
小さな政府するべき!、とかいって力を削ぎ弱らせる。
『内(家)に敵を作れ!』
「負債」という日本語が、政府と個人でバラバラになっていく。
それは、政府と国民だけじゃないのかもしれません。
道州制や地方分権という都道府県がバラバラになる。
大阪市解体という市が、バラバラになる。
日本語という自分達の国語より、外国語という他所の言葉を大事にして、言葉をバラバラにし世代の繋がりを断ち家庭を家族をバラバラにする。
分解、解体、バラバラ、壊す。
国民と政府が敵になる。
中央政府と地方政府が敵になる。
企業と国民が敵になる。
他の県市町村が、ふるさと納税という税金の獲得競争の敵になる。
国民どうしも、政府と国民も敵対させ分断させ、バラバラにさせるのが良いことになる。
敵というのが言いすぎだとしても、競争相手とみなすようになる。
内(家)の中に敵をつくり、攻撃し勝ち組になろうとする。
誰かの負債は誰かの資産、誰かを負け組にしたら自分が勝ち組になれる。
敵がいなければ内にいる誰かを敵とみなし、攻撃し否定し負担を押しつけ自分が利益を得ようとする。
『逆襲のコクミン』
今まで政府は増税をつづけ緊縮をつづけ、国民の給料を増やしにくい減らしやすい経済にして一方的に負担を押し付けてきた。
しかし、ついに逆襲が始まったのでしょうか?
政府に通貨という負債を押し付ければ国民は資産を手に入れることができる。
政府の債務は民間の債権国民の資産だ!、ということで。
政府が国民に押し付けてきた復讐への逆襲が。
『どこらへんが共同体?』
お金や経済の話についてみていくと、時々「共同体」という言葉が見受けられます。
誰かの負債は誰かの資産だ、といって誰かに黒星を押し付け負け組にすることで、自分が白星という勝ち組になろうとする。
それが同じ体を共にする「共同体」なのでしょうか?