引き裂かれる言の葉~個人の負債と政府の負債~(後編)

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『返済しなくてよい負債と自由に発行される国民』

 自分で通貨を作ることができ、それを自分で借りて自分に返すようなもの。
 それは返済しなくてよい負債というのなら、守らなくてもよい国民も、そして国民を守らなくてよい政府もありえるのではないでしょうか。
 肝となるのは、自分で自由に簡単に通貨を作る、作れるということになります。
 だから、政府は返済しなくてよい自由な金を使えるのだと。
 なら国民も政府が簡単に作れたなら、同じことが言えるのではないでしょうか。
 政府が自由に国民を作ることができたなら、国民を守る必要はない。
 国民を好き勝手に自由にしていい。
 守ってもよいが守らず放置して国民が弱りいなくなっても、新たな国民を発行すればいい。
 そのためにはどうすればよいか。
 そう、外から人を呼んできて自由に働けるようにすればいい。
 さらに参政権やら国籍やらを、ほいほいあげればいい。
 日本国籍人を大量生産できるようにすればいい、それを簡単にできるようにする。
 外から人を借りてきて、自分ちの名札をつけ自分ちの者(国民)のように扱えばいい。
 外から借りたのは返さなくてはいけない?
 普通はそうかもしれません。
 でも例えば金は確かに返してもらう、でも人は返さなくてよいよ。
 それどころか、足りないならさらに送ってやる、と(暗黙)の了解を貰ったらどうでしょう。
 そうやっていくらでも国民を供給できるのなら、既に内にいる国民を大事にする必要ない。
 便利な国民(勝ち組)と、不要な国民(負け組)を選んでもいい。
 政府からしたら国民なんていくらでも作れ代えのきくパーツ、消耗品でしかなくなる。
 大した価値ある物を作れないくせに、言う事を聞かないわがままな国民なんて自己責任だといって放置すればいい。
 低賃金で働かせ使い潰せばいい。
 そして、政府はいくらでも自由に通貨を作れるから返済しなくてよい、というのなら外から借りた人も元の所(国)へ返す必要はなくなります。
 まるで人を商品を扱うかのようになっていく。
 だから通貨を守る必要も責任もないという様に、自らの国民を守る必要も責任もなくなっていく。
 
 国民とは、政府だけが勝手に作り上げるものなのでしょうか?
 そうなると、内と外の境界がなくなっていく。
 違いが分からなくなっていく。
 今まで育んできた自分達の文化、風習、歴史、言葉なんてどうでもよくなる。
 いえ外から人を借りてくるのに邪魔に見えて、ぶっ壊すのが良いことだと感じるようになる。
 そのように考えが、傾いて行ってしまうのではないでしょうか。

『次から次へと生まれる守られない通貨と言葉~腹案、想定内~』

 政府は、通貨という負債を返済しなくてよいと約束を守らなくてよいというのなら、政府が発する言葉もまた守らなくてよいと認めることになるのではないでしょうか。
 政府の言葉、わかりやすいのが政府の代表である総理大臣ですね。
 なら総理大臣は、自分の発した言葉は守らなくてよいとなる。
 
 とある総理が、「経済をよくします、立て直します、再生します」と約束をした。
 しかし、実際の経済は良くなるどころかボロボロになった。
 それに対していったいどういう事なんだ?、と批判しても総理は、
 
「いや実は腹案があるんです。大丈夫です」とか言えばいい。
 
 それでも経済はよくならない、言ったことと違うじゃないか! とさらに批判しても、
 
「ご安心下さい。実はそれも想定内なのです」、とか新しい言葉を発すればいい。
 
 そうやってのらりくらりと、守られない言葉を言ってもよくなるのではないでしょうか。
 自ら通貨を作れる政府は、新たな通貨を作って(言い)返せばいい。
 だから、自国の通貨を使っている限り返済できなくなるなんてことはない!、と同じように、適当な自分だけの言葉を作れば、言い訳ができなくなることなんてない。
 言い訳に限界はない、永遠に適当な事を喋りつづけることができるんだ!、というように。

『セルフバベル』

 同じ言葉や物事でも、見方や立場によってやり方やとらえ方返し方が違うことは、確かにあると思います。
 状況に合わせて変えていかないといけないところもあるでしょう。
 しかしその根っこまで違ってくると、もう何も通じなくなるのではないでしょうか。
 変えてはいけないところまで変えてしまっては、共通の土台がなくなっていく。
 言葉という共通の土台が違うとなると、文字通りの意味で話は通じなくなります。
 同じ言葉を使ってるのに、意思疎通がまるで出来なくなる。
 自国語と外国語といったレベルではなく、「負債」という同じ日本語を使っていても、一方は守らされ一方は守らなくてもよいとあべこべにというのなら、政府の「国民を守る」という言葉は、「国民を攻撃する」ということになる。
 「将来世代の為に」は、「将来世代を攻撃し貧しくさせる」になる。
 国民の「財政出動をしろ」という言葉は、政府にとって「緊縮をしろ」ということになる。
 そしてほかの日本語もそうなっていったとき、そもそもの会話が成り立たなくなる。
 政府と国民が、まったくの別の存在になる。
 同じ言葉を喋っているはずなのに、国民の言葉は政府には通じないし届かない。
 政府の言葉は、国民にとってなんの意味もない。
 お互い意味不明な音を発しているだけになっていく。
 政府と国民がバラバラになる、なっていく。
 政府から見たら日本国民とは、言葉が通じないし言う事をきかない意味不明な音を発している異邦人のように映り、国民から見たら政府は自分達を攻撃してくるどっかの敵対している異国の政府のように映る。
 そんな別の存在に、言うことを聞かせるにはどうすればよいでしょうか。
 言葉は通じないので使えません。
 なら、痛みで覚えさせるしかないでしょう。
 ムチを使って、痛みを与え覚えさせるしかなくなります。
 今は痛みに耐えよう、とかいいだし緊縮し増税に増税をして、国民の所得給料を減らし、家庭を潰し会社を潰し社会を壊し貧しくさせ痛めつけるのが、良いことだと感じるようになる。
 うわっつらでは苦渋の決断をしたみたいな顔を浮かべながら、内心では満面の笑顔を浮かべ、嬉々として国民を痛めつけるのが快感になる。
 国民を躾け支配するのが正しい事だと考えるようになる。
 国民は、面従腹背で政府のいう事をきかなくなる。
 政府を無視し時には利用し、自分だけはと政府から金を掠め取り弱者から給料所得を奪っていくようなルールを作らせる。
 まじめに政府の言う事をきいた正直者がバカを見て負け組になり、政府の言う事を巧みに聞かなかった一部の人間や政府に縛られない者が勝ち組になる。
 政府は国民の言うことを無視し、口先だけは守るとかいいつつ国民を騙し平気で嘘をつき攻撃し、国民はそんなだます政府に妄信する。
 もしくは騙された!、と政府の言う事に従わくなり政府をとにかく否定し攻撃し、お返しに今度は政府を騙し政府の金を掠め取るようになる。
 そして、政府を妄信する国民と反抗する国民に分断され、お互いがお互いに攻撃しあう。
 政府のいう事を聞かない奴が悪い、いいや政府を妄信するやつがバカだ。
 どっちの国民もバカなんだよと内心うそぶく政府。
 悪いのは政府だ、愚かなのは言うことを聞かない国民だ! 悪いのは向こうだ!! 俺は悪くない!!!、と責任を押し付け合い、どちらが悪いか白黒つけなければいけなくなるのではないでしょうか。

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