話題になっていた矢野事務次官の寄稿を、文藝春秋11月号を購入して精読しました。
あの寄稿に対し、何人もの有識者が著名人が賛否を示しています。
筆者は先入観なく、くもりのない心で寄稿を読んでみました。
最初に結論を書きます。
「パンとサーカス」「タイタニック号」など情緒に訴えるばかりで、論理的には読むに堪えない内容でした。
まるで「危険が危ない!」「頭痛が痛い!」と言っているのと一緒。
どのように矢野事務次官の寄稿内容が読むに堪えないものだったのか、ポイントをまとめました。
矢野事務次官の寄稿内容のポイント
衆院選前の2021年10月10日に発売された文藝春秋11月号で、財務省の矢野事務次官の寄稿が掲載されました。
実際に文藝春秋11月号を購入し、精読したのでまとめます。
精読した結果、おおよその内容は以下です。
- 財政規律は大事だ、なぜなら財政規律は守るべきだからだ
- したがって、財政健全化しなければならないのは自明だ
- 財政破綻の定義は明らかにしないが、このままでは財政破綻する
有り体に言えば、トートロジーと強弁が目立ち、情緒に訴えかける寄稿内容でした。
たとえば、「まるで国庫には、無尽蔵にお金があるかのような話ばかりが聞こえてきます」と嘆いて見せます。しかし、日本には通貨発行権があり、円は理論上、無尽蔵に発行できます。
もっとも、誰も「無尽蔵に財政出動しろ」とは言ってません。
財政出動はインフレに制約されるからです。
「これでは古代ローマ帝国のパンとサーカスです。(中略)かの強大な帝国もバラマキで滅亡(自滅)したのです」と脅しかけますが、これも「強弁」「情緒に訴える」以外の役割は果たしていません。
ローマ帝国の滅亡原因は1つではありませんし、仮にローマ帝国がバラマキで滅亡したのだとしても、古代と近代資本主義では前提条件が異なりすぎて比較すらできません。
なぜ、国債が増加してはいけないのか?
なぜ、財政規律が必要なのか?
なぜ、財政再建が必要なのか?
これらの問いに対し、寄稿は答えを返しません。
なぜ、答えが返ってこないのか?
この寄稿では「財政規律を守るのは正しい」が前提条件になっていると考えられます。
自明ならばいちいち言及も必要ありません。
敷衍すれば、矢野事務次官にとって財政健全化、財政規律はドグマです。
長々と書かれていますが、内容を要約すれば「財政規律を守らなければならない! なぜなら、財政規律だからだ」としか書いていません。
その証拠に、財政破綻の定義も、なぜ財政拡大してはいけないかも触れられていません。
矢野事務次官が触れていないポイント
矢野事務次官が寄稿で触れなかった「不都合な真実」は2つあります。
- 財政破綻の定義
- 財政拡大したらどうなるか
まず、財政破綻を危惧しているにもかかわらず、財政破綻の定義が出てきません。
これは当然です。
財政破綻を定義してしまうと、トートロジーと強弁が崩壊するからです。
財政破綻の定義とは「デフォルト(債務不履行)」と「ハイパーインフレ」の2つです。
そのうち、デフォルト(債務不履行)は起こりません。
なぜなら、日本政府は円を刷って、円で借金しているからです。
日本国債はすべて円建てであり、日本製は通貨発行権を持っています。
したがって、原理的に意図的でない限りデフォルトは起きようがありません。
ハイパーインフレも起きません。
1995年に250兆円だった普通国債が、2021年には1000兆円になりました。
しかし、ハイパーインフレどころかデフレです。
もう少し専門的に言及しましょう。
債務増加によるハイパーインフレは、クラウディングアウトによって引き起こされるとされます。
クラウディングアウトとは「100あるお金のうち、政府が90を借りたら民間が10しか借りられなくなり、民間の資金需要が圧迫されて金利が上がる。そしてインフレになる」という理論です。
しかし、じつは「政府が100借りたらお金が100生まれ、民間が100借りたら合計で200のお金が生まれる(信用創造)」がお金の構造です。
よって、民間の資金需要への圧迫は起こらず、金利は上がりません。
現に、国債が1000兆円を超えたあとも長期金利は0.1%のままです。
そう、日本は財政破綻しないのです。
財政破綻の定義に触れれば、否応なく「財政破綻するかどうか」も論じなければなりません。
論じられないので、矢野事務次官は財政破綻の定義に触れなかったのかもしれません。
第二に、「財政拡大したらどうなるか」についても触れていません。
ひたすら「財政拡大したら財政規律が守れない! 財政健全化が遠のく」と警告するだけです。
日本のGDPは1997年が543兆円、2020年が538兆円でほとんど成長していません。
成長させる部分への政府支出が足りず、デフレだったからです。
政府が適切な財政拡大を行えば、支出分はGDPに計上されます。
仮に、岸田総理が50兆円の支出拡大を行えば、日本のGDPは50兆円以上に拡大します。
財政拡大すれば、経済成長します。
そのことも、矢野事務次官にとっては不都合な真実なのでしょう。
客観的事実に基づかない官僚のあり方
決定権のない公務員は、何をするべきかと言えば、公平無私に客観的に事実関係を政治家に説明し、判断を仰ぎ、適正に執行すること。しかし、これはあくまで基本であって、単に事実関係を説明するだけでなく、知識と経験に基づき国家国民のため、社会正義のためにどうすべきか、政治家が最善の判断を下せるよう、自らの意見を述べてサポートしなければなりません。
文藝春秋11月号より
まとめると、矢野事務次官は以下のように言っています。
- 公務員は公平無私に客観的事実を説明しなければならない
- その上で、社会正義のために自らの意見を述べなければならない
前提条件は「客観的事実を説明すること」です。そして、客観的事実は財務省がすでに公式見解として発表しています。
日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか。
外国格付け会社宛意見書要旨 : 財務省
上述で説明したとおり、円を刷れる政府が円で借金をしているのです。デフォルト(債務不履行)などしようがありません。
揺るぎのない客観的事実ですが、矢野事務次官の寄稿では1行たりとも触れられていません。
矢野事務次官の寄稿は全体的に「トートロジー」「強弁」「情緒に訴える」の3点で構成されており、客観的とは言いがた文章です。
たとえば、「バラマキ合戦は、これまで往々にして選挙のたびに繰り広げられてきました」とありますが、これは明らかに嘘です。
国民負担率は1997年に36.3%でしたが、2021年は44.3%にまで増加しています。
参照 国民負担率:主要労働統計指標|労働政策研究・研修機構(JILPT)
年々、税負担と社会保障負担ともに拡大してきたのが実態です。
このように、矢野事務次官の寄稿はまったく客観的ではありません。「心あるモノ言う犬(寄稿より)」として失格ではないでしょうか。
まとめ
矢野事務次官の寄稿は「トートロジー」「強弁」「情緒に訴える」といった要素が強く、客観的事実を大きく欠くものだと言わざるを得ません。
そもそも、寄稿の中で「財政規律を守らないといけない」「財政健全化が必要」と訴えますが、なぜ守らなければならないのかについて言及はありません。
「財政が破綻」と言及しているのは、最後の数行のみです。
そうしなければ、将来必ず、財政が破綻するか、大きな負担が国民にのしかかってきます。
文藝春秋11月号より
なぜそうなるのかについて、寄稿では一切触れていません。
こんな論理立てこそ「卑怯そのもの」ではありませんか。
矢野は全く酷い嘘吐きですね。しかし、首相も財務大臣も更迭しません。これでは矢野の主張を肯定した事になります。やはり、矢野駄文(論文とは呼べない)を「失礼な話だ」と憤慨した高市を総理にしないと、日本の復活は覚束ないと思ひます。情けない話です。
嘘つきというか、本気で「財政破綻するはずだ」と信じているのかもしれません。
財政破綻論はもはや、一種の宗教の様相を呈しているのかも……。