男らしさ・女らしさの型は子供に必要である

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「男らしさ・女らしさ」というのが社会的に批判されがちです。子育て・教育においても性差に注目せず、「個性」を尊重すべきという風潮があります。しかし、「男らしさ・女らしさ」という伝統的規範・模範は、多くの子供たちにとって効果的で成長に資するもの。これを堂々と活用すべきです。

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男らしさ・女らしさを求めると問題視される

公的な場において、男女の別、男らしさ、女らしさということを口にしづらい状況があります。

ミスコン中止のニュースなどもよく聞きます。
森喜朗元総理も、講話の中の女性に関するくだりで揚げ足を取られ、ひどい非難を浴びました。

ほめ言葉であっても、「男らしい」「女らしい」というのは聞かなくなりましたし、言ってはいけないような空気があります。

原因といえば、教条的な男女平等、ジェンダーフリー思想、フェミニズムであって、それを原理主義的にふりかざす者たちがいるからです。

政府の方針もそれに影響を受けているため、学校教育においても「個性」を重視する一方で、「男・女」の別をできるだけ排除するようになっています。

名簿は男女混合、体操服は男女で同じ、技術・家庭科は男女共通なのはずいぶん前からです。
制服も「男子用・女子用」でなく「一型・二型」と呼んだり、男女の区別を少なくした「ジェンダーフリー制服」を取り入れたりといった事例を聞きます。
(これは性的少数者への過剰配慮も影響していますが)

男らしさ・女らしさとは

「男らしさ」「女らしさ」とは何か? 人によって様々なイメージがあるでしょう。一般的には……

「男らしさ」
力が強い・寡黙・涙を見せない・働いて金を稼ぐ・デートでおごる・酒が好き・乱暴・家事をしない・無鉄砲・強いものが好き・理性的・論理的・弱い者を守る・頼りがいがある……

「女らしさ」
力が弱い・おしゃべり・困ると泣く・仕事はほどほど・デートでおごられる・甘いものが好き・繊細・家事や育児に励む・控えめ・かわいいものが好き・感情的・情緒的・弱い者をいたわる・気配りできる……

どちらも、良い面・良くない面を含んでいますし、互いに矛盾するようなものもあります。
生物学的傾向もあれば、古くからの伝統的価値観の反映もあり、また男女お互いへの期待・願望と言えるものもあるでしょう。

ひとくちに「男らしさ」「女らしさ」といっても、それぞれ多様性を含んでいるわけです。

育児・教育の上での「男らしさ・女らしさの型」

男らしさ・女らしさと個性

昨今の育児・教育に関する記事や本などを見ると、
男らしさ・女らしさの先入観・押しつけはダメ! ひとりひとりの個性を大事に!

という傾向が目につきます。

しかし私は逆に、男らしさ・女らしさの一定の押しつけは必要だと考えます。
それでこそ個性も真に生きるものとなります。

なぜなら、個性が幸せな形で発揮されるのは、それが社会に期待されるものである場合のみだからです。
極端な例ですが、欲しいものがあったら盗む、ムカついたら殴る、といった個性は歓迎されませんよね。

社会に必要な男らしさ・女らしさ

社会が期待するものは、男女において異なります。
そこには、肉体的な違い、生物的な役割の違いに基づきつつ、長い年月をかけて日本社会が育んできた判断基準があります。

また、個々の男女においても、異性に期待することには一定の傾向があるでしょう。
例えば「男は女を守る、女は男を立てる」ですが、これができていると男女の関係は大抵まるく収まります。

ここにきて尽くす女の良さ語る(TRILL/外部サイト)

批判的に語られがちなジェンダーロール(社会的性差)にも、実際には大いに意味があります。社会の安定に資するものなのです。

社会調査においても、85%以上の人々が「男らしさ・女らしさは必要」と答えています。

「男らしさ・女らしさは必要」同意は8割以上・結婚や家族に関する考え方への肯定度合い(Yahoo/外部サイト)

「らしさ」の型にはめることが教育

育児・教育においても男らしさ・女らしさは大切な役割を持ちます。特に重視されるべきは、次のような「模範」的側面だと思います。

「男らしさ」:強い・負けん気がある・弱い者を守る・ハキハキしている

「女らしさ」:気配りできる・弱い者をいたわる・相手をたてる・礼儀正しい

漫画『鬼滅の刃』で言えば、男は煉獄さん、女は炭次郎のお母さんですかね。

それはともかく、このような「らしさ」、あるべき姿の型にはめてやることが教育です。
親や教師など大人がある程度見本を示すことが前提ですが、たいていの子供たちには有効なことだと思います。

これができてくると周囲から好かれますので、子供たちの自己肯定感も上がり、さらなる成長に資するでしょう。

「型」がなければ破れない

もっとも、まるで型に合わない子もいるでしょうし、長じてくるにつれ体現が難しい部分も出て来ます。力やケンカは強弱がありますし、気配りも上手下手があります。劣等感に悩むことも出てきます。

そのような場合は型を破ればいいのです。

守破離」という言葉があります。
日本の武道や芸事における修行の過程を示す言葉ですが、

最初は基本の型にはまる
    ↓
他のやり方を取り入れて、型を破る
    ↓
型から離れて、自分の個性を確立する

というものです。

体力や運動の才に欠けるようであれば、学力や口論での強さを目指す。
気配りが苦手であれば、笑顔や明るい物言いで周囲を元気にする。

そのような工夫を経てこそ、個性が育ちます。

基本の型があるからこそ、それを破る、工夫する意志、エネルギーが出る。
これが子供・若者の成長にとって重要なカギでしょう。

ただし、幼いうちに型を破る必要がある場合は、親などの補助がかなり必要です。
親や周囲の観察、また親子での意思疎通が求められます。

「型なし」は不安を生む

逆に「男女に違いはない」「個性がいいんだよ」と言うばかりだとどうなるでしょうか。

指針となる「型」がなければ、人の心は不安になります。
不安になると何かしらの拠るべき基準・「型」を求め、落ち着きを得ようとします。

人づき合いが苦手で人間関係に不安を覚える人が、アスペルガー、ADHD、HSPなどと症名を知って安心する。すなわちある種の「型」にはまることで、落ち付いて対処法を模索できるようになる。それと同じです。

ですから、子供たちは次のような反応をすると考えられます。

ア 周囲の反応、空気に合わせ、「ほめられる・怒られない」を「型」にする。

イ トガった個性がないことに不安を抱き、奇矯な言動や服装で「個性」を主張しようとする

ウ 個性的な有名人をマネて、「他人の個性の型」にハマろうとする。

いずれにしても、あまりいいことではありません。

イ・ウは青春の迷走~中2病ですめばマシですが、大抵の子が選ぶであろうアは問題です。
これでは真の自分を持ち、気概ある大人に育つのが難しくなりますし、個性も磨かれません

「男女の別なし」は無機質な人間観

では、男女の別なく「良い生き方」の型を与えるのはどうか? 
「他者にやさしく、気を配る。他者の嫌がることはしない。強さと賢さを求めて研鑽する」といったもの。

これでは不十分だと思います。人間の肉体にある性差を無視しています。

互いにやさしくするとしても、何とも無機質な人間観です。

これは男女の別なく人を労働力として見る共産主義、カネを稼ぐための部品としてのみ見るグローバル資本主義と好相性ではないでしょうか。

伝統的「男らしさ・女らしさ」の型を使う方がよい

やはり、何世代にもわたる日本人の経験と知恵を踏まえた伝統的「男らしさ・女らしさ」の型を使う方がよいと思います。
時代に合わせて、これをさらに磨きつつ、堂々と「型」として教育に活用することが、多くの子供たちのため、未来の日本のためになるはず。

どうにも型に合わぬという性的少数者の子供たちには、周囲が個別に配慮・対応すればよいのです。
それこそ「弱い者を守る」男らしさ、「気配りできる」女らしさを発揮して。

そしてこのような周囲との協力があれば、性的少数者の子供もうまく「守破離」し、自らの生き方を得られるのではないでしょうか。

トップ写真:Tamagawa sanpo_43 by ajari

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