日本が安そうに見えるからあきらめるのではなく、取り戻す余地しかないとみるべき。

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諦めるのが早すぎる・・というよりはあきらめ方がおかしいというべきだろう。

日本すごいということが5,6年前にマスコミの中で喧伝されていたということはすでに記憶から遠のいている感じはするが、実際、昭和の時代を通して作り上げた日本の技術的文化的な生産能力というものはものすごいものがあるのは確かである。最近はその価値を不当に低く評価することが普通となり、なんでも米中のものが新しく正しいものとして、修正することもなく受け入れ、自分たちでやることを最初に考えないというそのやり方が至高の最上位に来るようになってしまっているということ、そのことさえも、普通過ぎて、その異常性に意識することすらない状況に陥っている。

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GDPは結果であって、それを持ち上げること自体が目標ではない。

アンバランスな格差を拡大する形で、GDPを上げたところで、早晩この国はその潜在能力を失うような形で、未来を食いつぶし、そのまま自沈していくしかない。上記の一人当たりのGDPの話は、衰退するかどうか、という話とは無関係な情報であることは認識しておかなければ、対応を誤ることになる。

コロナで相当ダメージを受けている業界も多く、絶望に近い感情を持っている人も多いだろう。もちろん、平成の時代に培われた、「現実を見ない」能力を発揮すれば今の生活が維持されていること、それだけを根拠に、現状維持することが未来永劫うまくやれることだと錯覚しながらも、とりあえず平穏に過ごしてしまうということもあるだろう。それ故に、一見無茶苦茶な、その場のノリだけでやっている政治について、妙に共感をもって見て「しっかりやっている」という見方をしてしまうのである。その考えで言えば、上記の一人当たりのGDPについての話は、世界の順位で言えば、低いながらも1つ順位を昨年に比べてあげたことは、現状のやり方が少しは功を奏している、とそう信じてしまうのも無理はないかもしれない。

暢気に国債の額が積みあがっているという、たったそれだけの理由で、それを国家の生死にかかわる唯一の指標として、政府がカネを出さず、ただただ、国内のあらゆる産業が疲弊して、壊れていく様をへらへらしながら、俺とは関係ないもんねーという態度で見ている姿は、他人事だったら、相当質の低い笑い話になっていたことだろう。もちろん、自分も当事者の一人であり、その社会の中の一員であるため、完全に巻き込まれる話になってくる。要するに、笑い事ではないのだ。

結果として一人当たりのGDPが低い、スガが尊敬する外資金融屋アトキンソンがいう生産性の低さというのは、経済活動が、すなわち需要が不当に貶められているからこそのことであり、そのことによって潜在的に発揮できる「生産性」より相当名目の生産性は低く見えている。この指標自体がカネにまつわるものであるので、しょうがないことではある。しかし、実際に国内経済が回っていないことも示唆するのは確かなので、何とかしないといけないことは確かである。

しかし、潜在的な能力をはなからして否定して、それを放置し、あらゆるものを外国に頼ろうとする(需要さえもインバウンドだなんだということを最初に考えてしまうという相当歪んだ考えが「意識高い」として正当化されている)こと自体が、状況を悪化させる。要するに、我々がまともな仕事ができない状況そのものが、持っていた能力を下げていくということである。やらないこと、あるいは、ただ、パソナのような人材派遣業によって、不当に安い賃金で労働を強いられ、奴隷のように低レベルなことを繰り返させられる状況が続くと、本当にやれることそのものがなくなっていくのである。要するに自分の国の国民が必要なことが国内の産業だけでやれる部分が削られていくということである。本当に恐ろしいことはそのことなのである。

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