本当に、どこからどう見ても真っ黒である。
しかし、竹中平蔵に対してシンパシーを持つ日本のサヨクも結構いることも確かである。日本のサヨクは基本的に現状の社会を全面的に改新して新しい理想的な社会を目指す勢力である。要は今までのやり方は全否定なのである。もちろんこのサヨクには、自民党の大半も含まれることは留意するべきことだろう。(絵は波よ聞いてくれ)
コロナ感染症の第3波が年末年始にかけても落ち着くどころか拡大をし続けている状況が続いている中、それでも、国民の混乱よりは、いかに自分の考えた人身や労働を安く金に換えて商売するということを進めていこうという日本で一番有名な政商(政治に取り入って独占的に利益誘導を狙う商人のこと)が、年明けからユーチューブで自らの所業についての意見を解説しようという大胆な試みを始めるという話を聞いたが、本当だった。
このリンクは、そのユーチューブチャネルを解説する予告として、これまでの生い立ちを語っているような動画だったような気がする。(途中までしか聞いてなかった)
そんなオヤジさんの息子たちは、竹中平蔵氏を含めても、貧困層とは縁遠い生活を送れる立場になっているようだ。それを彼自身の努力などと称しているが、どんな努力があったとしても、そんな立場にあるのは社会あってのことである。その立場を忘れて、今度は他人様の労働を搾取してカネに通うという考え方に至るというのはどう考えても社会の一員としては正気の沙汰ではない。
そんな彼が、この予告動画においてそのコメント欄で、彼に対する質問を受け付けするとか、なかなか殊勝なことをしていたはずなのであるが、しばらくたった時に、コメント欄がオフになっていた。閉じる前には適格と思えるご意見が並んでいたように思われるが、それらのコメントに対しては、竹中平蔵氏としては、耳が痛いことだと思った、というのが普通の解釈だろう。まさか自分の今までの所業とこれから、スガ政権やあわよくばそのあとの自民党政権などで進めようとしているスーパーシティー構想や、パソナ会長して兵庫県を巻き込んで淡路島の現代の農奴制度の復活構想などについて、本気で喜んでいる国民が多数だと思っていたのだろうか。実体経済をしばき上げることによって、カネを搾り取るという、労働派遣やあるいは金融業などの会長や社外取締役をやっているだけはあるだけあって、多くの国民が貧困となり、その労働は、一部の経営者や資本家のカネの肥やしのためだけに、安く使われる。「働けど働けど、我が暮らし楽にならない」状態を固定化するのである。
そのことを竹中氏は「貧困になる自由がある」などと表現した。ようするに、自分の労働者の労働をないがしろにする商売の邪魔をするなという意味で言っているのである。労働者の能力のことを言っているのではない。少し優秀な人間は、それなりのカネをもって待遇はするが、その能力が少しでも落ちた場合には容赦なく貧困に突き落とす。それが嫌なら、自分と同じ労働者をないがしろにする立場になれというメッセージなのだろう。
こんなことを推進していれば、ほとんどが貧困者となり、一部の金持ちのために、奴隷のように働かされ続ける。中世ヨーロッパのような越えられない身分が形成される。経済や技術の発展はほどほどになり、その代わりにIT系の技術として人々を管理する「技術」だけが発展し続けることだろう。そういうことが好きな人間が、逆に人を支配することが正しいことだと思うようになり、このような現在の奴隷制度が日本にも形成されてしまうのである。当然、統一的であった国民の意識は分断され、文化も停滞していくことになるだろう。