コロナ災禍の補償なし状態でカラオケ屋は死んでいく。それは他人事ではない経済問題だ。

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魔女は見えないところで人々を食っているという…。魔法少女はそれを人知れず対峙して世の中の平穏を保っていると・・・。

コロナは自分が助かっていると思っていても思った以上に人々の行動に影響を与え続けているのである。それを緩和するには、それによって追い込まれている人々の余裕を取り戻すことが必要であって、それは、政府は補償をすることが最低限のものとしてできることである。それで終わりではなく、スタートラインに過ぎない。スタートラインにすら立たせないやり方は論外といわざるを得ないのだ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/2213973f1b5ed1326c1462280055f7bd72c3e716カラオケ業界が「もう限界」 閉店500店超す(朝日新聞デジタル) – Yahoo!ニュース 新型コロナウイルス流行のあおりを受け、カラオケボックスが苦境に陥っている。カラオケは飛沫(ひまつ)感染しやすいとされ、売り上げは減少。全国で1割ほどの店舗が閉店を余儀なくされたという。東京都が23news.yahoo.co.jp

コロナの猛威は、仮にその感染が落ち着いたように見えようが、かかって重症化するという道がはっきりとある限りは、人々の行動に影響していく。そのことを責めることはできないだろう。それをしたところで、ある程度の人たちを、重症になってもよい、あるいは、なくなってしまっても、「俺には関係なので気にしない」という態度につながるため、国民国家としては、経済格差を容認し少数の上級国民とその生活を維持するためだけに奴隷のように働かされる大多数の貧困国民からなる二重国家に自然につながっていくだけのことである。そういう意味では実に厳しい状況をもたらしている。それに少しでも抵抗するのが、政府が公助として行うことができる、補償であったり、別の仕事を提供することであろう。それは決して、奴隷労働力を確保するということではなく、働き手がその家族を養い、消費ができるだけの賃金と余裕を持たせながら、仕事をするという状況をと繰り上げる努力するということである。

カラオケ屋については、小池都知事のパフォーマンスとそれを無修正で垂れ流しているマスコミのタッグでコロナ災禍に伴う経済被害を直撃している業界である。さらに言えば、構造的に、密室で飛沫が飛び交いやすい環境で、大声を出してうたうことがその、顧客の価値をもたらすものであるがゆえに、コロナ感染の可能性が続く状態においては、その業態を今までものとは異なる形にせざるを得ないものでもある。

その業態転換をすることは、この文化を維持するためには必要なことであり、それを補助することも、政府や自治体がやるべき公助となってくるだろう。それを直接的にやらなくても、それに役立てられる補償を行うということは、とにもかくにも行っていかなければならないことである。

効果は不明であるがちゃんと実施して、そのフィードバックをもとに対応を修正していくという改善のサイクルを回さないといけない。そのためには最初ははずれが多くても仕方がないところがある。それを恐れて補償を渋るという今の政府のやり方は、危機的な状況においては、実にまずいものである。要するに、経済を復興させるために必要な構造自体を破壊しつくすという結果にしかならないからである。いくら、コロナの猛威がなくなったとしても、それから復興するためには、経済の構造がなければ復興しようがない。日本国土がくまなく空襲で爆撃されて焼け野原になったところには、何もできないのである。人も業態そのものがなくなってしまってからでは。戦後の復興のようなことさえできない。

経済の大きな要素、生活を占める大きな要素を丸ごと失うというのは、実に危険なことなのである。経済の循環的にもそうであるし、文化にも大きな影響を与えることは必至である。それを、単に自分は被害を受けていないから大丈夫だというのは、あまりにも楽観的な考えであろう。カラオケに限らず多くの業界で静かだが、大規模に進行越しているこのような経済被害、あるいは、構造の瓦解とでもいえるような状況は、今見えていて感じる物より、その影響範囲が大きくなってしまうことが懸念される。このままのペースで経済被害が広がって行けば、業界1つ1つだけでなく、連携しているところがまとめて連鎖的に瓦解する可能性も高くなっていく。そうなれば、それまで他人事と思っていたことが一挙に自分の足元を崩すことにもなりかねないのである。そんな時に、その穴にそのまま落ちていくのを待つのは、国民国家としては、政府の機能が停止しているといっても過言ではないだろう。

政府の補償は先手先手、すなわち、問題が顕在化していないときから、しっか理実行していく必要があるのである。その余裕があって初めて、コロナに対する業態の変容も対応できようというものである。なにも補償がいない所では、ただただ、瓦解してつぶれていくだけであり、その瓦解は連鎖する危険が高まっている。そうなれば多くの人々がそれに巻き込まれることが必至ということである。

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