『支援金の財源は「税金」ではない? 経済学の新理論MMTを解説』(森本康平/㈱マネネ代表取締役社長CEO)
「(略)たとえば、1万円札は原価が20円程度の紙だが、なぜそれに1万円の価値を見出せるのか。昔のように同額の金(ゴールド)と引き換えてくれるわけでもない。
価値を見出している理由の1つは、日本円というお金を税金の支払いに使えるということだろう。私たち日本人が生活する日本において、税金は日本円を使って支払うことができる。つまり、日本円は日本政府が額面で受け取ってくれる。だから日本人は日本円に対して信用をしているのだ。(略)」
この界隈でちょいちょい見かけますが、いまだに貨幣負債論だの、租税貨幣論だのといった妄想を騙る輩がいますね。
これらが根拠ゼロどころか緊縮財政派にエサを与えるだけの暴論でしかなく、私も進撃ブログや自ブログへの投稿を通じて何度も批判してきました。
普通の感覚の持ち主なら税の支払いに使えるか否かで”円という貨幣の価値”を判断することはありませんし、為替相場の動きが税制改正のたびに大きく変動することもありません。
さて、「税制の存在が貨幣価値を担保する」という租税貨幣論の妄想が仮に真実だとすればどうなるでしょうか?
ここ20-30年の税制のトレンドは、”消費税率高&法人税率・所得税率低”になっていますが、これだと国民、とりわけ消費税率の負担感が重い低中所得層は「税負担増→貨幣価値の信認UP」となり、逆に法人税率や所得税率の負担感が軽くなった法人や高所得層は「税負担減→貨幣価値の信認DOWN」になるはずですが、実際にそんな動きがありましたかね?
貨幣に対する信認度が上がった低中所得層は、価値の上がった貨幣を大事に貯め込もうとするのが合理的な行動だと思いますが、現実に起きたのは家計貯蓄率の激減でした。
逆に、税負担が軽くなり、税の支払いという呪縛が緩んだ法人や高所得層にとって、税とリンクするはずの貨幣価値が自動的に低下しますから、現預金の保有を減らして新たな設備投資を増やしたり、労働者への分配率を高めたりすべきなのに、法人の現預金保有額は右肩上がりで増える(2000年/140兆円→2016年/211兆円)一方、労働分配率がダダ下がり(2012年/約72%→2017年/66%)です。
質の悪い租税貨幣論者は、”税率そのものは貨幣価値と高低とは関係ない”とか、”貨幣価値を担保するか否かは税率云々じゃなくて税の存在そのものが決める”と馬鹿げた屁理屈を捏ねますが、そんな幼稚な言い訳が通用するとでも思っているのでしょうか。
価値ってものは、常に高低や軽重が変動する運命にあります。
なぜ変動するのかと言えば、それを担保する根源的な評価基準そのものがまた変動を余儀なくされるからです。
よって、いかに貨幣であろうとも、その価値を担保する(有形無形に拘わらず)対象物がある以上、貨幣の価値がその対象物の変動に影響されることを避けることはできません。
つまり、一旦”税が貨幣価値を担保する”と言い切ったなら、貨幣価値の根拠となる税制の変動が貨幣の価値そのものに無関係でいられるはずがありません。
「税制さえあれば貨幣価値は担保されるから、税率がどれだけ変動しても貨幣価値は不変だ」なんて言い訳は絶対に通りませんよ。
冒頭のコラムを書いた森本氏は、「税金は日本円を使って支払うことができる。つまり、日本円は日本政府が額面で受け取ってくれる。だから日本人は日本円に対して信用をしている」とアホなことを抜かしていますが、いったい日本の何処に、”税があるから安心して円を使えるよ”なんてほざくバカがいるんでしょうか?
国民が日本円を信用する理由は、”日本政府が額面で受け取ってくれる”からではなく、”法人個人を問わず、日本中に住む誰もが欲しがる国民共有の資産(政府の負債ではない)である”からにほかなりません。
私も銀行員時代や会社員時代を通じて、経営者や管理職、創業者、コンサルタント、中手企業診断士、税理士、会計士、弁護士、公務員、政治家、農協職員、教師ほか数え切れぬほど多くの人と会ってきましたが、税を意識して貨幣価値を決めるような頭のおかしい変わり者に出会ったことは一度もありません。
だいたい、社会人の大半を占めるサラリーマンにとって、給料が振り込まれた時点で既に源泉徴収されていますから、税を意識するとすれば、「なんで所得税とか住民税ってこんなに高いんだよ!」と怒ることはあっても、「俺の給料でモノが買えるのは税のおかげです。国税さん、あざーっす!」なんて叫ぶバカはいませんよね?
太古の昔の日本では、物納や労役が普通でしたし、260年以上も続いた江戸時代も主な納税手段はコメでしたから、貨幣価値を税と結びつけるような変人はいなかったでしょう。
そもそも、”税=貨幣による金納”という常識は、明治20年の所得税導入を契機に普及し始めたものだと思いますが、所得税導入後しばらくの間、納税対象者はごく一部に限られ、国民の多くが徴収の対象になったのは昭和15年の所得税改正以降でしょう。
(それ以前に地租や酒税によって徴税されていましたが…)
有史以来、税と貨幣とのリンクが切れていた時代の方が圧倒的に長かったのに、その間も人々は貨幣の価値を微塵も疑うことなく、貨幣を欲して戦に明け暮れたり、商いを起こしたり、身売りしたり…、貨幣と民衆との関係は断ち切れることなく連綿と続いてきたのです。
要は、貨幣が納税手段として位置付けられてなくとも貨幣価値が揺らぐことのなかった史実を見れば、租税貨幣論というバカ論がいかに大嘘か即座に理解できると思います。
一部のMMT原理主義者は租税貨幣論を後生大事に騙っていますが、貨幣価値の根源を税制に求める発想は、増税緊縮派によって「貨幣価値の維持向上には弛まぬ税制強化が必要」、「価値暴落を防ぐためにも、貨幣供給量は税収の●倍以内に抑制すべき」という屁理屈に利用されかねない大愚行であり、到底容認できませんね。
租税貨幣論を吐くのは、貨幣を税の前に跪かせ平伏させるが如き売国行為であり、経世済民という思想を踏みにじる許しがたい裏切りです。
租税貨幣論者はアホな妄想をいますぐ棄て、現実を見つめ直すべきでしょう。
お邪魔いたしますです。
>これらが根拠ゼロどころか緊縮財政派にエサを与えるだけの暴論でしかなく、私も進撃ブログや自ブログへの投稿を通じて何度も批判してきました。
着地点としては同じなのかも知れないです。税は財源としなければ、徴税の正当性を言及出来なくなるです。強制力の正当性が半減してしまうのです。
ーーーーーーーーーー
視点を代えて。
税金を払わないとどーなるのか?
毒親(♀)がやらかしたことであり、おいらでは無いことを前置きするです。
督促から呼び出し、差し押さえと延滞税。悪質なら重加算税や刑事罰。差し押さえと重加算税を喰らいました。俗に言う『税務署が入った』ってのも。親の事だけど、おいらも呼び出しを受けてます。相続放棄で逃れるとしても、生きてるうちは影響があります。
命くらいしか差し出すものがなくなった時期もありましたから、有る意味、命がけで払いました。
これ公権力にも支えられてるって見方も出来るかもです。
ーーーーーーーーーー
明日からドルで納税してよって言われたら、両替してでもドルで払わないとです。おいらなら、両替代を浮かせるために『ドルでお給料を払って下さい』って言い出します。刑事罰は嫌です。
ーーーーーーーーーー
租税貨幣論押しで、公権力の裏打ち、『税は財源』で納税課の口実。
そんな感じて税を眺めてるです。
コメントありがとうございます。
そもそも、徴税の正当性を過大評価する必要はないと考えています。
税というのは、歳入の財源(少なくとも主役ではない)ではなく、特定分野の経済活動や商取引に対する抑圧や懲罰でしかありませんから、それを執行する公権力の及ぶ範囲ががあまりにも広範であってはなりません。
税の及ぶ範囲は、極一部の限られた分野や物品、金融取引に限定すべきで、歳入の主役として我が物顔でのし歩かせてはならないと思います。