日本の安全保障や集団的自衛権という言葉は、時々報道お騒がせます。その中身についてしっかりと理解している人は、案外少ないのではないでしょうか。
安全保障とは何か、集団的自衛権とは何かについて解説します。また通り一遍等の解説ではなく、安全保障と経済の関係性についても議論します。この議論を通して富国強兵という言葉の意味が、深く理解できることと思います。
最後には日米安全保障についても触れます。日米安保によって、日本の国際社会の地位はどのように認識されているのか。日本国内では論じられませんが、日本はアメリカの属国だと認識されています。
豊かな経済なくして、国家の安全保障はありえません。また独立の気概なくして、自分たち自身を守る安全保障政策は成り立ちません。
できる限りわかりやすく解説しますので、順序を追って見ていきましょう。
安全保障とはそもそも何か?
集団的自衛権や日本の安全保障について解説する前に、安全保障とはそもそも何かについて解説します。
- 国の存立や国民の生命財産を脅かす脅威に対して、何らかの手段を講じること
- 想定される危機に対して、予防措置や対抗手段を用意しておくこと
安全保障は何に対して安全を保障するかと言うと、国民含む国家に対してです。国家の安全保障をするためには、国力が必ず必要になります。供給能力や生産能力、諸外国に対抗するための政治力や軍事力などです。
軍事安全保障は安全保障政策の根幹であり全て
安全保障政策には食料安全保障エネルギー安全保障など、様々な分野の安全保障があります。しかし軍事安全保障こそ、安全保障政策の根幹であり全てとも言えます。なぜなら軍事安全保障は、エネルギー安全保障や食糧安全保障など、ほとんど全ての内容を含んでいるからです。
平時の経済は非常時の兵站
返信において経済と呼ばれる現象は、非常時においては兵站と呼ばれます。旺盛な消費と旺盛な供給能力は、非常時において軍隊を支えます。
例えば東北大震災を思い起こしてみてください。多くの地域が被災し、多くの人の生活が破壊されました。それらを支援し復興したのは、日本全体の経済力や供給能力です。
経済と安全保障は分けて考えられがちですが、コインの裏表のようなものです。安全保障をしっかりと確保するのならば、国家の経済は異常者の担保になるのです。
エネルギー安全保障
どのような産業も石油や石炭、電気などのエネルギーがないと何も生産できません。エネルギーをどのように確保するかということは、第二次世界対戦以来の日本の重要課題です。
なぜなら軍隊もまた、エネルギーなしでは活動できないからです。
食料安全保障
腹が減っては戦はできぬと言います。古来から、お腹を空かせて勝利した軍隊はありません。軍事安全保障にとっても、最も重要なのは食料です。人間が生存していく上で、食料というのは絶対に欠かせません。
軍事を考える上で食料安全保障も、必ず必要な安全保障です。
富国強兵
平時の経済は、非常時の平坦です。エネルギー安全保障や食糧安全保障も、軍事安全保障を支えるために必要です。経済が活発になる旺盛になることは、すなわち国力が上がるということです。
経済活動が停滞しデフレなどに陥るということは、国力の停滞を意味します。
軍事安全保障をしっかりと確保しようとするならば、強い経済が必要です。富国でなければ強兵は実現できないのです。
軍事安全保障のための用語入門
安全保障のための専門用語というのは、いくつもあります。特に軍事安全保障でよく出てくる個別的自衛権、集団的自衛権、集団安全保障について解説します。
個別的自衛権
個別的自衛権とは、自国が攻撃された場合に自衛するための反撃やその権利を指します。日本であれば日本が攻撃され、それに対して反撃ないし反撃する権利を個別的自衛権といいます。
集団的自衛権
集団的自衛権とは同盟や条約を結んでいる友好国が攻撃された場合に、条約や同盟に基づいて敵国へ反撃する権利を指します。これはあくまで権利であり、義務として締結されることは少ないです。
つまり同盟国が攻撃されたとしても、反撃しない権利もまた存在するのです。
集団安全保障
集団安全保障は例えば、他国へ侵略ばかりするテロ国家があったとします。これに対して国際社会が団結し、軍事行動ないし制裁を加えるのが集団安全保障です。
アメリカが北朝鮮などを枢軸国として名指しするのは、集団安全保障によって制裁を加えようという意図もあります。
日米安全保障条約はどのように位置づけられるか
日米の間には日米安全保障条約、いわゆる日米安保が存在します。日米安保の中身について詳細な議論は省きます。全体像に対して理解を深め、日本が国際社会においてどのような地位に就いているのか確認しましょう。
日米安保は片務条約
日米安保条約は軍事同盟ではありません。なぜなら軍事同盟とは、双務的な条約だからです。表現を変えるならば、お互いに集団的自衛権を行使できるのが軍事同盟です。しかし日米安保条約は、アメリカが一方的に日本を防衛する義務を負うという片務条約です。
日本はアメリカに防衛してもらう代わりに、米軍基地を日本に置くことを了解しています。
もう少しはっきりと申し上げますと、日米安保条約とは属国、保護国条約とも言えます。
保護領、属国としての日本
日本国内では日米安保条約によって、日本とアメリカは同盟国という位置づけとされています。先ほども申し上げましたが、軍事同盟とは相互条約によって成り立ちます。
アメリカの政治学者の中にはストレートに、日本を保護領、属国として位置づける学者もいます。実際の話日本はアメリカの属国と、国際社会の中では暗黙の了解として認識されています。
安倍政権では北方領土問題を解決しようとしました。こそに際してロシア側から日本の外務大臣に質問がありました。「もし北方領土を返還したら、北方領土に在日米軍基地はできないのか? 大丈夫か?」というものです。
この質問の意図は非常に簡単です。アメリカが北方領土に在日米軍基地を作りたいと要望した時に、日本側が断れるのか? と聞いているのです。
ときの外務大臣はこの質問に対して、在日米軍基地ができない保証はないと回答したそうです。
このエピソード一つで、日本には在日米軍基地の建設を断る権限すらない、属国であるという事実が理解できます。
アメリカの凋落と日本の安全保障
アメリカの属国という立場であっても東西冷戦の最中は、現実的な対応と評価することも可能でした。共産化の防波堤として、日本は位置づけられていました。よってアメリカは日本に対して寛容な外交を展開しました。
1991年のソ連崩壊によって、アメリカは世界唯一の覇権大国となりました。しかしそのアメリカの覇権も2000年代後半から、衰えを見せています。アメリカ自身の国横の衰えや、中国の台頭による相対的なアメリカの覇権の低下です。
アメリカが凋落する中において日本の安全保障は、万全と言えるのかどうか。アメリカだけに頼って安全保障で、日本はこの先国際社会を乗り切っていけるのかどうか。甚だ疑問であることは間違いありません。
日本はそろそろアメリカに頼らず、自分たちの国は自分たちで守るという、ごくごく当たり前の安全保障を思い出さなければなりません。
まとめ
安全保障とは自分たちの独立や国家、生命や財産を守るためのものです。当然ながら自分たちの独立を貴重と思う気概や、精神性が必要になります。しかし残念ながら現在の日本に、アメリカの属国であることから脱出しようという気概はありません。
安全保障とは誰かに守ってもらうという受け身ではなく、自分たち自身のことを自分たちで守ろうとし、共同体で団結・協調することです。そのような基本的なことすら、日本国内では認識されていないような印象を受けます。
現在は日本国内でも新型コロナ、感染拡大によって猛威を振るっています。このような危機的状況だからこそ、安全保障という概念を見直してみてはいかがでしょうか。