失われた20年で「失われたもの」を日本が取り戻す方法は存在しない

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失われた20年で失われたもの

 ベーシックインカムや財政出動、現代貨幣理論の議論で「うん?」となることがあります。議論に齟齬が生じて、噛み合っていないのです。

 この齟齬はおそらく、失われた20年で「失われたもの」への認識の違いかと思います。端的かつ平易に論じますので、お付き合いいただければ幸いです。

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失われた20年とはなぜ起こったのか?

  1. 1970年代のオイルショックによる新自由主義の台頭
  2. 冷戦終結によるアメリカの寛容な外交の転換
  3. 日本のバブル崩壊
  4. アメリカから新自由主義とグローバリズムの輸入
  5. 1997年の消費税増税とデフレ突入

 上記が失われた20年が起きた、時代背景と流れです。

 まずアメリカは東西冷戦終結とともに、日本に寛容な外交をする必要がなくなりました。したがって戦後本来の「属国としての日本」の扱いに転換します。
 奇しくもこの転換は、1991年のバブル崩壊と重なります。

 また世界で台頭していた新自由主義とグローバリズムを、日本はバブル崩壊の自信喪失から受け入れます。優れているとされた日本式経営は、溝に捨てられました。
 こうして1997年、小さな政府の名目のもとに消費税増税が行われます。日本が20年以上に及ぶデフレ経済へと、突入したのです。

失われた20年に「失われたもの」は何か?

 失われた20年では、本当に多くのものが失われています。

  1. デフレによる供給能力の毀損
  2. 終身雇用制の崩壊と、人材育成の気概やノウハウ
  3. コストカットの横行による基礎研究費や投資の減少
  4. 製造業の衰退とサービス業への偏り
  5. 将来が良くなるという希望と人命

 デフレは物価を下落させ、最終的には供給能力を毀損させます。価格競争を激化させ、企業はコストカットに走り、研究や人材などへの投資すらコストとみなします。
 投資がカットされれば、当然ながら供給能力も既存していくというわけです。

 日産にカルロス・ゴーンが迎えられ、コストカッターとして辣腕を振るったのは有名な話です。現在では日本から逃亡し、日本をリストラしたようですが(笑)

 投資なき製造業は当然、成長著しい中国企業などに取って代わられました。産業空洞化もよく議論されました。産業空洞化の議論によれば、現在の日本は「空洞」なのです。
 こうしてサービス業への産業構造の転換が起こり、日本社会には閉塞感が漂います。

 経済苦を理由に1997年より、自殺者は1万人増加しました。

「失われた」とは「遅れた」でも「溜めている」でもないという事実

 本論に入ります。「失われた」とは遅れているわけでもなければ、力を溜めているわけでもありません。バネのように縮んでいるのでもありません。

 「失われた」とは文字通り「存在しない」「存在しなくなった」のです。
 本稿のタイトルを思い出してください。

「失われた20年で「失われたもの」を日本が取り戻す方法は存在しない

 当たり前ですね。「失われた人命も、ノウハウも、供給能力も『どこにも存在しない』のですから、取り戻しようがない」のです。
 失われた20年で失われたものは、20年という時間でもあるのです。

 すでに傷んでいる日本経済を、イチから再生させなければならないのです。

財政出動やベーシックインカム議論に思う認識の齟齬

 筆者は財政出動に大賛成です。公共投資を拡大し、国土への投資をどんどんするべきと主張しています。社会保障の充実も大いに結構だと思います。

 しかし以下の2点で、違和感を感じるときがあります。

  1. 財政出動さえすれば瞬時に、日本経済が最盛期なみに復活?
  2. 例えば財政出動の金額が単年度で100兆円

 現在の日本は人間で言えば病人です。財政出動で点滴から、病院食に変更する段階のようなものです。20年も点滴だけだったのですから、胃腸だって弱っているはずです。

 財政出動の金額は単年度では最初、20~30兆円がいいところでしょう。
 20年も失ってきたのに、わずか数年で大復活なんてこともないのではないでしょうか。破壊は一瞬ですが、再生は何倍もの時間がかかるものです。

失われた20年で本当に失われたものは「現実認識」かもしれない

 失われた20年は、我々日本人の精神を蝕むに十分な時間でした。辛く苦しい現実は人間を、否認や逃避、楽観、諦観へと追いやります。

 果たして我々や、日本人の現実認識は大丈夫だろうか? 失われた20年で「本当に失われたもの」は、現実認識ではないだろうか?

 このように問題提起をしておきたいと思います。
 楽観視して失敗するより、悲観的に行動して「思っていたよりマシだった」ほうがベターです。

 すでに失われたものは、取り戻す方法がありません。我々日本人はまた、イチから再生させねばならないのです。

本稿を書いたきっかけ

 最近、Twitterをよく見ています。積極財政派の人も多いのだなぁ……と思いつつも、たまに出てくる金額に「えぇ? いやいや、そりゃ無茶でしょ」と思ったりもします。
 楽観的な人は見ていて頼もしくもありますが、怖くもあります。

 筆者自身が昨年末に自営業を「失った」ばかりですから、楽観的な見通しに余計に恐怖を感じるのかもしれません。

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トナカイ

失われた物は、戻ってこない。
死んだ人が生き返ることはない。
失われたノウハウや供給能力の再生には、それが積み重ねられた時と同じくらい長い年月が必要。
新自由主義は、言い出しっぺのアメリカすらも、かつての力を失って、中国に追いつかれる原因になった今だけ金だけ自分だけの間違った考え。

新自由主義の拝金主義で、いくら一部の富裕層が株などの不労所得を得たところで、科学技術や、安全な食料の供給を失えば、国は衰退。
特に、中産階級が飢え死にすれば、人命と、国内のあらゆる産業が、戦争の空襲にあった訳でもないのに失われる。

それでも、今だけ楽に金儲けできれば幸せな人たちがいる。
そして、そんな利己主義者の発言力が、どんどん増していく。金のあるものが、持たざるものを兵糧攻めにして奴隷にするのが、資本主義だから。
囚人のジレンマ。
そういえば、人体を蝕むガン細胞って他の細胞より繁殖力が高いですよね。

 本当に最悪。

Muse

「日本人は「失われた30年」の本質をわかってない」
https://toyokeizai.net/articles/-/325346

東洋経済ONLINEの最近の記事ですが、自分から言わせれば、「お前こそ失われた30年の本質を全く何もわかっていない」と言いたくなるほどの、全く180度的外れな内容です。

こんな言説を振りまく多くのエコノミストや経済ジャーナリスト、あるいは経済学者と称する連中の考え方を改めるか?(おそらくこれは無理だろう)あるいは、積極財政&ナショナリズムを推進する政治勢力が台頭して政権を取り、無知蒙昧なるエコノミストたちの社会的影響力を失墜させる以外に、日本国家の没落を食い止める方法はないかと。

当ブログは2019年5月に移転しました。旧進撃の庶民