2019年12月29日 5:00
本当の積極財政元年はこれから
テーマ:進撃の庶民投稿コラム
今年の経済論壇に新しい風を吹き込んでくれたのは、何といってもMMT理論(現代貨幣理論・現代金融理論)でしたよね。
MMTに対する私の立ち位置や意見については、この進撃の庶民コラムや自ブログですでに何度も述べてきましたが、改めて再掲すると、
「MMTとは「自国通貨を発行する政府は供給能力を上限に、貨幣供給をして需要を拡大することができる」とする理論である。このようにMMTは財政赤字の拡大を容認する。政府は財政赤字を気にせず景気対策に専念すべきだとMMTは主張する。自国通貨建ての債務であれば、政府の財政的な制約はないため、赤字が増えても財政は破綻しない。自前の通貨を持つ国がいくら自国通貨建てで国債を発行しても債務不履行(デフォルト)には陥らない(Wikipedia)」
という自国通貨発行権に基づく財源無言論や、財政規律の維持よりも社会的課題解決を優先すべきとするスペンディングファーストの精神には、大いに共鳴しています。
この辺りの考え方は、機能的財政論とも歩調を一にするものであり、同じベクトルを共有する経済理論の登場に期待が膨らみます。
しかし、貨幣は商品ではなく信頼に基づく貸借関係の記録(負債の記録)であるという貨幣負債論や、貨幣の信用・価値は国家の徴税権によって保証されているといった租税貨幣論に関しては、まったく賛同できません。
それどころか、これらの空論は、債務恐怖症気味の国民に対して「貨幣増発=負債増発=増税招来(国民負担増)」という誤ったイメージを植え付け、「貨幣価値を保つためには、税制強化が不可欠」といった増税強化論を容認する裏切り行為にも等しい愚論だと思います。
また、一部の教条的なMMTerのように、所得不足に悩む国民への給付金を毛嫌いし、需要拡大に最も効果的な積極財政策を妨害するに至っては、もはや、経世済民に逆行し脳内がリフレ化したネオリベ思想の持ち主だとしか思えませんね。
ただ、現実には、それより更に周回遅れ気味の前近代的経済思想のポンコツが主流派ヅラで跋扈しています。
『「山本太郎現象」は一過性か?MMT理論を検証する』(12/23 アゴラ 加藤成一:元日本弁護士連合会代議員)
コラムを書いた加藤氏は、“MMT理論の有効性を検証する!(=文句をつける)”と息巻いています。
彼曰く、「MMT理論の有効性を検証する場合は、短期的な有効性と長期的な危険性を区別して考える必要がある」そうで、
「日本の場合は、1兆3000憶ドルの外貨準備高、340兆円の対外純資産、1830兆円の個人金融資産、460兆円の企業内部留保、108兆円の国有財産など、国債発行を担保する資産が十二分に存在する」から、短期的にはセーフ。
一方、「MMT理論にもとづき、長期にわたって大量に国債発行を繰り返し、財政規律を失えば、やがて、国内消化が困難となり、長期金利の上昇をもたらし、政府の金利負担は莫大となり、最終的には財政破綻に陥る危険性が極めて大きい。ハイパーインフレの可能性もある」から、長期的にはアウトだそうです。
ですが、おそらく加藤氏がお好きだと思われる「増税緊縮論」や「聖域なき歳出カットによる財政再建最優先論」なんて、短期的・中期的・長期的のいずれの視点から見ても、リスクしかありません。
それも、潜在的なリスクではなく、明らかに顕在化したリスクです。
経済成長が止まり、出生数がピーク時の1/3以下という異様な少子化社会をもたらし、国民の所得水準が20年以上も前より低く、サラリーマンの小遣いが40年前より少なくピークの半額以下なんて惨状は、まさに緊縮財政策によって顕在化したリスクの一端です。
それに比べると、MMTを含む機能的財政論に基づく積極財政策には、短期的にも長期的にもメリットしかありません。
短期的には、不況と国富劣化の主因である「需要不足問題」を解決できること。
中期的には、国家が中長期の投資計画を立てやすくなり、それを商機と狙う企業サイドも長期的な視野に立って人材育成や設備投資に積極的になれること。
長期的には、国民所得水準の向上による購買力UP、技術力や供給力の高度化、流通網の強靭化が進み、国富の弛まぬ育成に資すること。
経済は、貨幣が労働力を動かし、労働が技術を高度化させ、技術の高度化がより多くの貨幣供給を生むという永遠のサイクルによって成長し、強靭化していきます。
加藤氏のような増税緊縮派の連中は、貨幣製造や国債増発により生じる貨幣が、労働力を刺激せず、技術革新も起こさず、設備投資意欲も掻き立てず、ただただ行き場を失って悪性インフレを惹き起こすと叫ぶのが常ですが、経済や経営の実態を一つも理解していないポンコツとしか言えません。
我が国の国債利回りは、10年物でマイナス未満に落ち込んでいるのに、消化不良どころか大人気です。
それどころか、公共債や地方債なども発行条件呈示後瞬時に捌けるほどの沸騰ぶりで、国債をはじめとする債券マーケットは、買い手がいなくなるどころか入れ食い状態ですよ。
仮に、今後、国債が大量発行され利回りが急騰するとしたら、光速や秒速で売り切れ必至でしょう。
第一、国債増発や通貨製造により、国内経済主体が所有する貨幣量も増え続けるわけですから、国債消化に必要な資金が尽きることなどあり得ません。
もし心配なら、すでに500兆円近い国債を保有する日銀に買い取らせれば済む話ですし、わざわざ国債を発行せずとも、政府が毎年2,000億円以上発行している貨幣(政府紙幣)を製造すればよいだけです。
これにより長期金利が上がった(※個人的には6~7%程度なら“金利適正化”の範囲内だと思います)としても、国債金利の利払い費のほとんどは日銀を通じて国庫に戻ってきますし、国債の利払いがどうしても嫌なら、何度も言いますが、利払いコストゼロの“貨幣製造(発行)”という常道もありますから。
国債金利が高騰(と言っても、ほんの数%程度の水準ですが…)するような経済状態になったとしたら、企業の生産性や付加価値は、いまとは比べ物にならぬほど向上しているはずですから、一時は溢れ返るであろう需要など、高度化した供給力によって瞬く間に回収され、ハイパーインフレどころか、一桁台後半のインフレすら起こせないと思いますよ。
加藤氏はコラムで、「(れいわ新選組の山本太郎氏が)MMT理論に基づく「財政規律のない長期的な大量の国債発行」までも容認するものであれば、最終的には財政破綻に陥り極めて危険であるから到底是認できない」と積極財政策を批判しています。
しかし、財政規律とやらに縛られた増税緊縮政策が日本を破壊し尽くしてきた犯罪行為を批判しないのは、おかしいのではないでしょうか?
我が国の国力が疲弊し、国民の所得が一向に増えないのは、所得不足を主因とする需要不足のせいであり、それを治癒し得る唯一の手段は、彼が忌み嫌う「財政規律のない長期的な大量の国債発行」、つまり、「聖域なきバラマキ」なのです。
財政破綻をもたらすのは、財政規律の弛緩ではありません。
それどころか、財政規律の厳格化による歳出削減こそが、需要力の劣化→供給力の疲弊→国富の破壊というルートで財政だけでなく国家基盤そのものすら破壊する元凶です。
「貨幣(所得・対価)なきところに労働なし。労働なきところに技術なし。技術なきところに国富なし。国富なきところに国家なし」
国家や国民の生活基盤を根本から支えるのは労働が生み出す国富に他なりませんが、労働意欲を駆動させ、労働の起点となるのは、あくまで貨幣の存在です。
我が国を覆う長期不況は、貨幣不足のサインです。
いまこそ、貨幣を実体経済に大量に投入し、間違え続けた経済政策の針を逆方向に動かさねばなりません。
時間を逆回転させ、経済を退化させた増税緊縮派の妄言を一掃するためには、来年度こそ、積極財政論の発展元年になることを心から願っています。
そのためには、貨幣負債論のような妄想を振り撒きながら経世済民の看板を掲げる(フリをする)一部の教条的なMMTerにも、真の経世済民論者となるよう自省を促し、ともに積極財政論を深化・普及させたいと思います。
今年の進撃の庶民へのコラム投稿は、本稿が最後になります。
今年も一年間、御愛読いただきまして、誠にありがとうございました。
皆様におかれましても、どうぞ、良いお年をお迎えください。