神の力を信じるかね?(君の名は。)
山本太郎「このまま自民党を支持していていいのですか?」 ネット「民主党の時に同じ事言ってみんな騙されてんだから同じ手はきかねー
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/seijinewsplus/1561982631/
上の記事、自民党は結局日本のことを考えて政治をやっているね、という暗黙の同意があると思い込んでいる記事だろう。山本太郎は自民党でも立憲民主党でもないところを志向していることに考えが及ばないというのが多くの国民の見方である。はたしてその見方はあっているのだろうか。
消費税増税が話題の参議院選挙。与党自民党は政府の骨太の方針と同じように消費税増税10%をやるという約束とともに戦うこととしている。すなわち、こんな経済状況、国民の多くの購買力が低下し、雇用すら安定させる気もない経営者にばかり優遇措置を取り続ける状況でも、勾配の内容から考えて、国民多くを占める(90%以上)中間層以下の没落国民より、10%未満の金融投資の比率が高く消費税を相対的に払わないカネに余裕のある連中にカネを再分配するということになる消費税増税、法人税減税、所得税の最高税率緩和なる税制のシフトは、1970年ごろに生まれた高度経済成長の終焉とともにやってきた、詐欺的経済信仰である、新自由主義によってなされてきたものであった。
最初は優しいもので、国営から民営化する3大公社(国鉄、電電公社、専売公社)の変わりようが、サービス向上につながり歓迎されたものだ。もちろんそのようにより良い形に状況が好転する部分もある。しかし、その勢いは、便利さを享受するはずだった労働者でもある国民にも、改革とやらが襲い掛かった。労働者の権利をうまいとることで調整してきたその改革とやらは、消費者でもある我々労働者から、消費を安定的にできるという豊かな消費者という立場さえも、無駄だとして削り出したのである。それは、国家国土に不可欠な国内のインフラ工事に対して仕事を割り当てないという形で現れ、無駄な仕事だと叫びながらやるべきことをさぼることが改革だと言い放ってきた。やるべきことはカネを残すことで、手を動かしてする仕事ではない、と改革は言い、作ることを中国に送り出して、さらにはベトナムをはじめとする東南アジアに出し続ける。作ることがさもしい仕事だとみなし、カネを右左に動かすことが高尚な「仕事」だと改革は言ってきたのである。金融立国なるカネという概念を動かす工夫だけで成り立つ国という、究極に中身が空っぽな国を目指してそれが人類最上の国家だと信じているのが改革の行きつくところだろう。それは、何も作らない、誰も豊かにしない。カネという抽象物とはどこかで具体的なものに変えなければ、何の役にも立たないものであり、それは外国からの収奪しか意味しない。人類に対してもただの寄生虫としての立場を高らかに歌うだけのことである。
自民党やただただ政治的な権力を持ちたい宗教政党公明党は、そういう滅亡の方向に暴走する新自由主義という信仰をやめられない空気に従って走っているだけの頭を使わない政治集団である。国民の食う句をそのまま政治に映し出した集団であるともいえるだろう。それに対して、、まずいとかおかしいとかそういうまともな指摘をしないと、その空気そのものが修正されないというのはその経緯を考えればわかることだ。彼らはうまくやっている・・という言い訳はこの際まったく意味がない。その空気の中でうまく立ち回っている。その空気を壊さないように詭弁をはいている。改革という新自由主義の侵攻の告白と区別がつかないことをその空気として強化し続けているだけの彼らに同情してもすでに何の意味もない。ただ、未来の日本が亡国で、米中の国際企業や「資本主義」共産党の草刈り場として自分たちの生活の基盤が刈り取られるための準備を手伝っていることにしかならないのである。
我々は仕事をして、その中で生活をして人生を紡いでいる。それは自分たちの生活を紡いでいるとともに、皆が暮らす環境を修復し維持していくことがあってこそ、未来の我々や子孫がい聞けていけるということを思い出すべきである。そうやって、国の歴史は途絶えることなくつながってきたのである。そのことを忘れて他人任せの寄生虫になったら最後、自分たちは誰かに取りついて寄生虫として生きていくか、その力もない人間は最低兵の貧困にあえいでいくしかないのである。それは、個人の努力ではどうしようもない状況であろう。たまたまのし上がれた人間がいたとして、それが多くの貧民を救うとは限らない。そんな一握りの人間に期待するのではなく我々が動かずして我々の未来のある国を作れるはずもない。
政治に対する批判はそういう心があってこそ意味がある。広い意味で自分たちのためなのである。目先の金もうけは実は大して意味がなく、結局は自分の未来をふさいでしまうことには違いないのだ。