この度は勝手な寄稿を受け入れてくださり、ありがとうございました。
これまで、ごくたま~に寄稿したり、コメントしたりしてきました、旅丘と申します。
まず、最初に言っておきますが、私のスタンスは一言で言うならネトウヨです。
「ネトウヨ」という言葉を否定的に捉えている方も多いと思いますが、むしろ私は堂々とネトウヨと名乗りたいと思います。
だって、マスメディアが左過ぎるので。
なお、安倍政権に関しては、特に支持も不支持もしません。
誰がやったことであれ、いいものはいいし、悪いものは悪いです。
確かに安倍政権は国民に様々な呪いを振りまいていますが、それは野党もせいぜい同レベルか、あるいはそれ以下でしかありませんので。「反日」に限らず、「グローバリズム」においても、です。
なお、山本太郎氏は「グローバリズム」に限ればもちろん安倍よりも1万倍いいですが、かといって反グローバリズムでさえあれば何でもいいのか、というと、違う気がするので、個人的に支持はしません。
さて、どうでもいい雑談、自己紹介はここまで。ここからが本題です。
私としては、何であってもイデオロギーというのが嫌いなわけです。
特に〇〇主義と名の付くものは、ほぼ例外なく嫌いです。
共産主義や資本主義、全体主義等が嫌いなのは当然というべきかも知れませんが、一般に非の打ち所がないとすら思われているであろう民主主義であっても、行き過ぎるとロクなことになりません。
民主主義のルーツは何かと聞けば(一旦社会から消えてしまった古代ローマ等を除けば)、フランス革命と答える人は多いのではないでしょうか。
なお、アメリカ独立宣言もまた重要と思いますが、ここでは別の話として取り扱いません。
ここでハッキリと言っておきます。
フランス革命なんて、ロクなもんじゃありませんでした。
歴史を語るとなると、浅学非才(の上に理系)の身ゆえ、色々とツッコミ所はあるかも知れませんので、そこはコメントにてお教え頂ければと思います。
まず、ルイ16世は決して暴君なんかではありませんでした。
ただ、「民主主義」という当時流行したイデオロギーだけのために処刑されたに過ぎませんでした。
その罪状の主な理由は、進撃民にお馴染み、「クニノシャッキン」です。
当時は今の日本と違い、デフレの社会ではないので、一概に国債は問題でないとまでは言えないのですが、それはルイ14世と15世の戦争のせいであり、ルイ16世には何の責任もありませんでした。
そして、マリー・アントワネットといえば、「パンが無ければケーキを食べればいいじゃない」というセリフがあまりにも有名ですが、勿論、本当はそんなことは言ってません。
あまり政治に興味がないだけの、平凡で裕福な育ちの一人の女性に過ぎなませんでした。
それが革命派にによって悪役に仕立て上げられてしまっているわけですね。
あまつさえ、実子のルイ17世(シャルル・ルイ)に性的虐待をしたなどという侮辱そのものの嫌疑までかけられて。
一応、ルイ17世による「母に近親相姦された」という「証言」もありますが、私は当時の状況からして全く信じません。
革命派の圧力に決まっていると思います。当時8歳のルイ17世が大人に囚われた状況で、周りの大人達に強要された証言を拒んで、真実と母への愛を貫き通す・・・なんてドラマチックなストーリーは、現実には不可能でしょう。
そして、ルイ17世はその後というと・・・
敢えて詳しくは書きませんが、性的虐待を含む、様々な虐待の末に、殺されます(正確には一旦は保護されましたが、その時にはもう手遅れでした)。
享年わずか10歳でした。
実際に性的虐待を加えたのは、革命派に他ならないわけですね。
ここら辺は、都合よく相手を性犯罪の加害者と執拗に責め立てる人たちが、実際は自分達が性犯罪者という、どこかの国を髣髴とさせる構造になっていると思いませんか?
そしてその後は革命派の中でも急進左派のジャコバン派のロベスピエールによって、独裁、恐怖政治が行われることになります。
それが、「恐怖」を意味するTereur(テルール)という言葉で今日の「テロ」の語源となります。
フランス革命の発端である、バスティーユ牢獄襲撃以来、ロック、ルソー、モンテスキューといった、公民の教科書に載っている人たちの思想家たちの考えを取り入れて、1791,1793,1795と憲法を制定するのですが、結果はどれも失敗といっていいでしょう。
思想家たちにとっては、世界に自分の名前が広まったという意味で、成功でしょうが・・・
バスティーユ牢獄襲撃(1789)から端を発したフランス革命なんて、こんなものです。
ナポレオンとかその後のフランスの歴史はまた別の話として、現在まるで「唯一絶対の正義」とまで信じられている(といったら言い過ぎ?)民主主義というのは、実際はこんなもんなんです。
別にフランスに限りません。
日本でも、西洋から「民主主義」とやらが、戦後導入されて、社会は改善したでしょうか?
江戸時代から比べ、明治時代に「憲法」「近代国家」といったものが導入されたはいいけど、社会はどう改善されたのでしょうか?
日本には日本の思想があるのに、無理に西洋の思想に乗っかろうとするから、公民の教科書にも「天皇主権」というようなおかしな事を書かれるのです。
今と比べて昔は少しでもマシな政治をしていたのでしょうか?
社会科の教科書には、必死に「昔は酷かった、今は民主主義という素晴らしいシステムで未来を創っていける」ということを書いていますが・・・
論旨としては、一般に正しいと信じられているものが正しいとは限らない、ということです。
今回、その例として、「民主主義」というものを挙げました。
社会科の教科書なんてものは、所詮は時の政権が都合良く書くものであって、現代においても当然に例外であるわけはわけはありません。明らかな嘘はさほど多くないにせよ(実はわりとありますが)、都合のいい解釈は物凄く多いです。
駄文ではございますが、世間の常識というものを疑ってみるという見方ができれば(あるいは皆さんとっくにできているでしょうか)とおもいます。いかがでしたでしょうか。
「ネトウヨ」という言葉とか、安倍政権を支持か不支持かとか、天皇主権とか、そういう話題もまたいつかできればと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。いい暇潰しになって頂ければ幸いです。
タイトルがなかったため、タイトルはこちらで付けさせていただきました。また誤字と思われる部分は、編集させていただいております。