今年7月に、積極財政論者でありMMTの提唱者の一人であるニューヨーク州立大のステファニー・ケルトン教授が来日したことは記憶に新しいことと思います。
彼女は講演の中で我が国が採るべき経済政策に触れ、「消費者の支出こそが経済のけん引役であり、財政政策で人々の所得と自信を向上させることが必要」(日経新聞記事より)だと言い切りました。
私は、従前から、「平成不況により、我が国は最も重要な国富(供給力や技術力)を失いつつある。そして、国富の崩壊や欠落を招いた最大の病根は、国民の所得と自信の喪失である」という危機感を持っており、そういった認識を図らずも彼女と共有できたことは非常に有意義でした。
では、財政政策の実行を通じて日本人が取り戻すべき「自信」とは、いったい何なのでしょうか?
私は、
①日本はこれからも他国を凌ぐ勢いで経済成長できるという自信
②“明日は今日よりもっと良い日になる”という希望を下地とする飽くなき幸福追求への自信
③真面目かつ人並みに働きさえすれば、所得は十分満足できるレベルで増え続けるものだという自信
だと思います。
世界一勤勉な日本人が生み出す製品・商品・サービスの付加価値が貶められ、正当な対価が支払われずに買い叩かれた挙句に、空前の人手不足と言われながら、いまだに最低賃金が1,000円にすら届かない惨状が放置されているのは、日本全体を需要不足、つまり、“絶対的な所得水準不足”の暗雲が覆いつくしているからにほかなりません。
緊縮政策と野放図な規制緩和政策という経済失政が20年以上も続く中、我が国のサラリーマンの平均年収は、H9の462万円をピークに7.5%も減っています。(H29データ)
「なんだ、減ったといってもたったの7%だろ? 別に問題ないじゃん」というアホもいますが、比較対象となるH9が、すでに20年以上昔、つまり、ふた昔も前の出来事であることを忘れていませんかね?
常識的レベルの経済政策さえ採っていれば、年収ってのは、たとえ少しずつでも上昇するのが当たり前です。
我が国が、せめて先進国並みの2%程度の成長率を維持しておれば、いまごろサラリーマンの平均年収は700万円越えを達成していたはずですよ。
(※私は、積極財政策を採っていれば、4%くらいの成長率を十分に達成できたはずだと思っていますが…)
“不況だから仕方ない”、“たったの7%しか減ってない”という安易で自堕落な気の緩みが、700万円-462万円≒240万円もの差異を生んだのです。
しかもその差異は20年もの間累積しますから、均すと労働者一人当たり累計で2,400万円もの所得を失ったことになります。
雇用の質が劣化し、年収は20年も昔より減り続け、将来や老後に備えた貯蓄すらまともにできないのに、消費税率は上がり、社会保険料負担は増える一方という五重苦の中で、人々が消費や投資に積極的になれるはずがありません。
20~30年前と比べて驚くほど高機能・高性能な製品やサービスを造る能力を有しながら、まったく売れず在庫の山…、財布の紐が固い日本人を相手にしても商売にならないから、カネ遣いのよい中国やシンガポール、タイ、インドネシアを相手にせざるを得ず、現地の役人や代理企業にぼったくられ、痛い目に遭う。
一方、日本人労働者は、不当な規制緩和により、雇い主から東南アジア辺りの奴隷並みの低賃金と比べられ、「タイ人ならお前らの1/10で雇えるぞっ!」と脅され、雇用の場がいとも簡単に海外へ流出する様を指を咥えて眺めるしかありませんでした。
こんな失敗を繰り返す中で、日本人は雇用と所得を失い、同時に自信や自尊心すら失くしてきたのです。
私がケルトン氏の言葉に感銘を受けたのは、おそらく日本に来たこともない彼女が、日本人や日本経済が患っている症状を的確に分析し、その病根と処方箋をズバリと指摘したからです。
『消費者の支出こそが経済のけん引役』
『財政政策で人々の所得と自信を向上させる』
この二つの重要な言葉を政策に適切に反映させ、日本経済を再び力強い成長軌道に乗せ、その果実を遍く広く分厚く国民全体に行き渡らせねばなりません。
“十分に質の高い雇用を国民に提供すること”、“国民に対する直接給付金により経済失政で失った逸失所得を早急に補填すること”という双方向からの所得増進策(=需要力強化策)が必要です。
ここで、「公共投資による既存保障制度の拡充か、新たな給付金か」という二者択一論に固執するのは、経済のイロハすら理解せず、現状認識が甘すぎる大バカ論の類いでしょう。
積極財政による経世済民を真摯に志す者なら、「公共投資もやるべし、給付金もやるべし」というシンプルかつ合理的な結論に到達できるはずです。
“給付金は人々を堕落させ、仕事を通じた尊厳や自尊心の向上を妨げる”という素人じみた批判もありますが、完全失業状態で給付金だけで暮らす厄介者という極々一部の超特殊事例を前提とする夢想論にはおつき合いできかねますね。
給付金制度は、真面目に働く日本人の給料があまりにも低すぎるゆえ消費に対する自信を持てない、というジレンマを可及的速やかに解決できる最適解のひとつです。
積極財政論者たる者、国民が消費に自信を取り戻し、経世済民の一助になるのなら、くだらないプライドや自負心はドブに捨てるべきでしょう。
公共インフラ投資、社会保障拡充、地方交付金増加、教育・科学技術・国防予算拡充、農業人材育成、国産エネルギー開発、医療研究予算拡充等々、オーソドックスな財政政策の実行は急務かつ不可欠です。
それらは、中長期的な視点から国民の所得と自信を向上させる政策であり、不況克服という眼前の大問題を解決するためには、短期的な時間軸から、直接給付制度のような即効性のある政策を打つことも必要なのです。
一部の積極財政論者にありがちな「給付金嫌悪論」は、租税貨幣論や貨幣負債論と並ぶ三バカ論としか思えません。
私は、
『消費者の支出こそが経済のけん引役』
『財政政策で人々の所得と自信を向上させる』
というケルトン氏の言葉に、次の言葉をつなげたいと思います。
『国民の所得と自信向上の実現に費やせる時間は想像以上に少ない』
公共事業は景気対策的な事は考えずに必要な事を必要な分だけやって欲しいですね。
「インフレ目標が達成しのでこの工事は凍結します」なんて馬鹿な事になると嫌なので・・・
給付金は「労働者一人当たり累計で2,400万円もの所得を失った」との指摘に習って、単純に労働者=20歳以上と考え、
20歳以上の国民に年240万を10年間支給ってのはどうでしょう?
「経済失政補償金」とでも銘打ちますかw、
公共インフラの老朽化問題は、今後二十年で最大の課題になるでしょうから、一時的な対策としてではなく、半恒久的な取り組みが必要ですね。
「経済失政補償金」にも賛成です。
経済政策の誤りは、国民の人生を狂わせ、国力低下に直結しますから、本来あってはならぬこと。
よって、仮に失政が起きたなら、国家がそれを速やかに補償すべきです。
反省と補填のスピードが速いほど、悪影響を軽微に抑えることができ、次に失敗する確率を低減できます。
税金=財源、という認識を破壊することが重要です。公務員の給料や公共投資は税金から払われていると信じて疑わない人が多すぎる。
仰るとおりです。
税は所得の再配分、社会的不公正の是正、過剰に過熱した景気の冷却剤としての役割だけで十分です。
「私たちの税金が〜」というくだらぬ雑音を排除するためにも、歳出財源としての税金のウェイトを極限まで減らすべきです。
ましてや、「税が貨幣を駆動させる」という妄想などもってのほかで、国民に「歳出財源=税収」と誤解を与え、緊縮思考を正当化するだけの愚論です。