日本のしばき上げ自称保守、国家・国民を豊かにする視点が永遠のゼロ

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おかしいものは適切なタイミングで突っ込まないとそれが普通になって拡大していってしまうものである。

自分もかつて2000年前後にネトウヨとなりそれで、よく知るようになった、日本の自称保守。

特にその中身をよく知るためのネット媒体としての日本文化チャンネル桜は自分にとって大きな存在であった。毎週欠かさず続けられている桜討論もそれを深く知る機会になったのであった。しかし今も続いているその討論の大半においては、日本の未来を考えているのか疑わしい議論踊ることが多いと見える。

そして、そんな自称保守の連中は、いつまでも安倍首相を保守の救世主だとして口では批判をしているつもりではあるが、心の中では、「安倍さんは割っている」という言葉を合言葉にことあるごとに期待してしまうことを知っている。しかし、首相の心の中心に実際宿っているのは、アイコンとしての右翼と新自由主義者の考えだけである。

コアを守るために、目の前の人間におべんちゃらで思っているかどうか怪しいことも、これはいける!と乗っかるのが実にうまい。それは、自分がうまくやることに関しては、常人を逸した能力を持っているからにほからない。自称保守やその周辺の人々は彼に直接にあって、その人の良さに憎めなさを感じてしまっているだろう。それ故にまさかそんなことを本気で考えてやっている・・・と心では思い切れないすきを残し続ける。

新自由主義がよく好む言葉である「自己責任」というものに関しては、自称保守たちは実は親近感を感じている。その根本にあるのは、戦後復興の苦労というものを誇りに思っており、それを経験していない軟弱な現代日本人に対してある種の憎しみを持っている様子である。ゆとりな連中はしばき上げないと変わらない!と。そんな連中には、甘えた言葉ではなく、しばき上げることで苦しみを与え、団塊世代の自称保守がもつ、俺たちがやってやったのにという恨みつらみがあるのだろう。

自称保守の日下公人が言い放った、北海道人は補助金ばかりもらってろくに働いていない怠け者だ、という趣旨の発言はその一つの形であっただろう。

たしかに、今の日本人はやるべき苦労をしていない、という見方はできる。・

実際は、苦労しているのであるが、それは自分の生活を何とかやり過ごすことに苦労しているだけであって、自分たちの住む社会にろくに貢献することがないのである。そういう意味で「やるべき喜朗をやっていない」ことになる。またその反対側で、うまく金儲けだけやっている連中は本来的な意味で苦労をしていない。人の頸を切ったり、外人にやらせたり、先人の仕事の結晶である技術をわが物のように切り売りするだけである。この連中はもっと本来的な苦労をするべきだろう。自分のカネを膨らせることにうつつを抜かしていることに社会的な価値はほとんどない。

自称保守は、苦労を知らないからダメで、苦労をさえることに意味があるように思っている節があるのだ。その判断力は実に個人的な恨みつらみに近いものがあり実に愚かなのである。その考え方は、国民の多くを奴隷的に「苦労させる」ことを期待する竹中平蔵をはじめとする新自由主義と実に神話的だ。竹中を愛国者として持ち上げる安倍晋三もほとんど社会に向ける視界は竹中のそれと共通しているとみていいだろう。調子のよい自己中は国政の中心から排除しなければ、日本の狂った衰退の進路を変えることはできないのである。

本来保守は、日本という国を保守していき、国民が安定的に暮らせる基盤を守っていくことが目的である行動をとるべきなのである。言論界における長年のサヨクの繁栄に対して恨みつらみで、目先のことにとらわれすぎ、日本の衰退に手を貸すだけの自称保守は創造のない破壊主義者でしかない。彼らのコアである団塊世代が死にゆくまでに、日本の破壊が進んで直接的に被害を受けてしまいかねない状態を彼らも知らなければならないだろう。自分も含めて、死ぬときぐらいはいい状況で死にたいと思うのは当然のことである。当然のことをするために、固い頭をほぐさなければ、あるいは、若い人たちの経世済民の行動に対してじゃまだ手をしないことが必要であろう。

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