ある朝、フライデーが歩いていると、反対側からクルーソーがやってきた。
「よう」とクルーソー。「おはよう」とフライデー。
お互い声を掛けあって、ふとクルーソーが抱えているモノに目が行く。どうやら野イチゴのようだ。クルーソーは両腕にたくさんの野イチゴを抱えていて、見ると丸々として、なんとも美味しそうだ。
「い…一個くれない?」おそるおそるクルーソーにお願いしてみた。「いいよ、一個とりな。」と、クルーソー。
口に含むと、何とも言えぬ甘味と酸味。恐ろしくウマい。
「どこでとったの?その野イチゴ。」「ああ、一本杉のところから少し森に入ったところに沢山なってたぜ。」
聞くや否やフライデーはクルーソーへのお礼もそこそこに一目散にその場所へ走った。すると、すでに、そこには大勢の人だかり。野イチゴはあらかた獲りつくされ、フライデーは探しに探して、ようやく2個のちいさな野イチゴを見つける事ができただけだった。「これだけじゃ家に持って帰れないな。」フライデーはとぼとぼと歩きだす。
ほどなくして先ほどの場所までくると、クルーソーが傍らの岩に腰掛けていた。
「見つかったか?フライデー」。「ダメだったよ。クルーソー。もう獲られてしまった後だった。」
「そうか。」クルーソーはおもむろに抱えていた野イチゴを「やるよ。」「ほら、落とさないように。」とフライデーにくれたのだ。
「いいのか?クルーソー。」「いいよ。俺は独り身で、どうせ俺一人じゃこんなに食えないしな。お前んとこは5人の子供が腹を空かせて待ってるだろ。」「じゃあな。」クルーソーはそういうとスタスタと歩いて行った。
フライデーは野イチゴを抱えて家に帰り、大喜びで野イチゴを食べる子供たちを眺めていた。フライデーの傍らに妻が座る。
「クルーソーさんに何かお礼をしなければいけないわね。」「そうだな。しかし、何かお礼できるようなモノがうちにあるだろうか?」「そうね。うちは家族が多くて、とてもお礼できるようなモノなんてないわね。」しばし黙りこむ二人。
妻が口を開く。「そうよ、秋になったら川に鮭が産卵にやってくる。あなた、その場所を知っているじゃない。その鮭を取って、お礼にすればどう?」「だが、今はまだ春だぞ。かなり先の話になる。」妻は満腹になり居眠りを始めた子の頭をなでながらこうつぶやいた。
「仕方ないわよ。うちには今、お礼できるものが何もないんだから。」
やがて秋になった。フライデーは、その言葉通りにクルーソーに鮭を渡したのだった。
さて、それから数か月たち、狩りに出かけようとするフライデーの耳に妻の叫び声が聞こえた。「あなた、マックの具合がおかしいの!」「なんだって?どうしたんだ!」「どうやらマックが誤って毒のあるキノコを食べてしまったようなの」
フライデーは毒を消す効能がある薬草を思い出す。すぐさまフライデーはクルーソーの家に駆け込み、「毒消しの薬草」のある場所に心当たりはないかと問いかける。しかし、今の季節、その薬草はまだ生えていない。嘆き悲しむフライデーにクルーソーは言った。「そうだマンデーの奴が、その薬草を煎じたものを持っているはずだ。」
二人は急いでマンデーの元に。しかし、マンデーは冷たくこう言い放つ。「この薬草の煎じ薬は、自分達の家族の為に作ったモノで、そんなに量がないんだ。残念だが、あきらめてくれ。」
フライデーは縋り付かんばかり。「秋になったら鮭を一杯持ってくるから、それでなんとか分けてくれ。」「本当か?そんな先の話、信じられないね。」とマンデー。そのとき「俺が保障する。フライデーは信用できる奴だよ。」とクルーソーはマンデーを睨み付けながら言った。村で人望の厚いクルーソーにそうキツク言われるとマンデーも断りきれなくなった。「じゃあクルーソーが保障すると言う証明書を書いてくれたらいいよ。」
フライデーはマンデーに必ず秋に鮭を10匹持ってくるという「借用証書」を書き、なんとか薬を手に入れた。
そのクスリを飲み、マックの命は救われた。
ある日、マンデーが歩いていると、サンデーが家の前で、豚を焼いていた。肉汁が滴り落ち、香ばしい匂いがあたりにたちこめている。「ムチャクチャ喰いたい!!」マンデーは堪らなくなった。
「サンデー、お前さんの家では豚を何頭飼っているんだい?」「う~ん、10頭かな。」「一頭分けてくれないか?」サンデーは言った。「分けてもいいけど、アンタは何をくれるんだい?」
マンデーはひとしきり考え込む。
「これじゃあどうだ。」身につけていた光る石を差し出す。「それだけじゃあな。」とサンデー。
マンデーはまた考え込む。家に何かあげられるものがあったか、ひとしきり頭をめぐらす。
「じゃ、これをやるよ。秋になったらフライデーが鮭を10匹くれるんだ。」
「なんだ?その紙切れは。」サンデーは不信顔。
「クルーソーが保障しているんだ。ここにそう書いてある。」「そうか・・・クルーソーが保障しているなら信じてもいい。分った。一頭分けてあげるよ。」
春にしてもらったお礼を秋にする。このタイムラグこそが「貨幣」と言うモノの基本です。
もちろん最初のフライデーとクルーソーとのやり取りにあるものは純粋な友情のみです。しかし、二番目のマンデー、さらには3番目のマンデーとサンデーとのやり取りは、クルーソーと言う人物への「信頼」を担保とした「取引き」です。
人間社会は、最初は極めて小規模な血族同士の集団から始まり、次第にその小規模な集団が集まった大きな集団となり、彼らはやがて集落を作り、そして国家へと発展してゆきます。
「取引き」というものは、フライデーとクルーソーのような個人間の友情から発展したやり取りから始まりました。しかし、人々の数が大きくなればなるほど、個人間の友情という範囲を超えた、多くの人々とのやり取りが産まれます。そこでは、「友情」という極めて繊細な関係から起こるやり取りを超えた、お互いにとって極めて明確な「取引き」というものへと変化してゆきます。そこに「友情」という感情はありませんが、しかし、「信用」というものは必要です。相手に対する「信用」がなければ、タイムラグのある「取引き」はかなりハイリスクなモノとなるでしょう。
未だ文明の発達の遅れた時代、多くの人々にとって、自分達の所属する集団から引き離されるという事はほとんどの場合「死」を意味していました。それほど過酷な世界だったのです。
インドにおいて、そこで暮らす多くの人々に未だに多大な影響を及ぼしていると言われるカースト制度というものがあります。人は生まれながらにして階級が定められ、その定められた階級によって厳しい区別がなされます。その成り立ちは、曾てその大陸を侵略した騎馬民族たちと古くからそこに住み続けていた人々との、支配する側と支配される側との線引きから始まった、などという説があるようですが、そのような制度が、彼らが信じる宗教に関係するとはいえ、未だに存在する理由の一つに、その階級ごとのコミュニティーの存在が考えられるそうです。そのコミュニティーはお互いがお互いを助け合う互助組織のような働きをしていました。
生きるのに厳しい社会において、そのコミュニティーから排除されることは、そこに属す人々にとっては非常に恐怖だったでしょう。
参考文献 森本達雄さん 「ヒンドゥー教 インドの聖と俗」
そういう状況の世界では、必然的に人々は自分達の所属する集団の中での「信用」というものに縛られます。
なんでもヤップ島に石貨「フエイ」というものがあるそうです。大きさは直径4メートルのものから30センチのものまで、真ん中に穴の開いた車輪のような石だといいます。ヤップ島の人々は、その石を「取引き」に使用していたといいます。その、持ち運ぶことすら多大な困難を伴うモノを、です。これこそが人々の集団における「信用」を担保とした「借用書」の効力を端的に表した事例だと言えます。この「フェイ」なる石を指さし、その集落の人々にこう告げるのです。「私と彼はコレコレという取引をした。いついつまでに彼はコレコレを私に渡す。」と。私と彼との「取引き」を担保するもの、それは集落の人々の、その石貨「フェイ」を象徴とした、彼らは約束を守るという「信用」なのです。
やがて、人間社会はもっと大きな集団、国家となります。多くの人々の関係性は薄まり、極めて希薄なモノになります。人々は生まれながらの狭いコミュニティーの中で生きていかなくてもよくなります。もっと広い世界に出て生きていけるようになったのです。その中で「取引き」における「信用」を担保するものはなんでしょうか。それは、国家というものが持つ「権力」です。その「取引き」で約束したことを破れば、国家によって罰せられる。それこそが「取引き」における「信用」の担保となったのです。
「取引き」そのものも、その集団が大きくなればなるほど、巨大に、そして複雑になってゆきます。そうした大きく変化していく状況の中で「取引き」を円滑に進めるために「共通の表示単位」を表した「借用証書」つまり「貨幣」が誕生します。
国家は、その定めた「貨幣」に「信用」を「担保」させるために、その「貨幣」で国民に「納税」させるのです。国民は国家という権力に従うべく、その定められた「貨幣」を集めなければなりません。彼らはやがて、最初は国家に従う為、という気持ちで使用したのだということすら忘れ、その貨幣を「信用」し、当たり前のように使用し続けるのです。
その「信用」は国家への「信用」と等価です。国家が「信用」を失うと同時に貨幣も「信用」を失うのです。
新サイトでの記念すべき寄稿コラムをありがとうございます。
このようにわかりやすく語りかけられる、やすさんの才能が羨ましいです。
やすさんの今後のご活躍を強く祈念いたします。
今後とも、よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
何と言いますか、本当にお恥ずかしいかぎりではありますが、まぁ枯れ木も山の賑わいというコトで。
く……