おいしいものはおいしく食うことはよいことであるが、それをやりすぎると場合によっては後悔することになる。後悔するかどうかは、それによって引き起こされていることをつぶさに見て知ることからしかわからない。しかし、見てなかったとしても、問題があればそれは問題として影響を与えていることになるので、ゆがんだ見方で無理やり納得しても、あとでもっとひどい後悔をすることになってしまうことだろう。
https://www.sankei.com/politics/news/141117/plt1411170054-n1.html消費税率再引き上げ 財務省「予定通り」に固執し、官邸激怒消費税率10%への再引き上げをめぐり、財務省が来年10月から予定通りに実施するよう固執し、自民党議員に「ご説明」に回った。これに対し官邸サイドは、「増税容認」で…www.sankei.com
財務省が、経済の右も左もわからない政治家に対して「ご説明」をして回り、政府の支出を抑え、さらには、税金を引き上げていく、特に、一人当たり対して確実に一定の税金を徴収することになる消費税を引き上げることの妥当性を説得に来る。そういう話は、消費税8パーセントへの増税の時も言われていたが、昨年10月の消費税10パーセントへの増税の際も行われていたという。
財務省が悪い・・という印象を与えるものだろうが、参ってしまえば、財務省の考え方などは、基本的に、税金を収入と見立て、それに対する政府の支出をバランスさせようという家計簿的な感覚をもってやってしまっているのは、ある意味しょうがないところがある。政府のカネの使い方としての見方がそうだから、としか言いようがないだろう。
しかしご存じのように、実際は税収にかかわらず、政府の支出を増やすことはできる。国債などを発行する形で帳尻を合わせることができるのである。したがって、消費税のような「安定財源」を確保することは本質的なものではないのである。ただ、税金という制度は、モノやサービスを作るということで得られる収入以外に、金融や資産関係取引による利益が過ぎるところから、カネの使われ方を調整するために必要なものである。要するに、役に立っていないのに儲けすぎのところから、政府の仕事や政府からの補助金、給付を通じてカネを再分配する役割を果たすものである。それ故に、消費税はその役割からは遠い税制であり、濡れ手で粟な収入からとる税制にシフトすることがむしろ求められることなのである。
建前上は、家計簿的な動きがあってもよいが、大きな思想としては、上記のような、資本主義のゆがみによるぼろ儲けの調整をするをしなければならないという意味で、消費税(あるいは社会保険料)に偏った税制は、やめて、収入に対する累進課税などの、従来の方式に戻していくことが、国内の経済に対して、民間が投資し商売しモノやサービスを作り出すという流れを作り出すことができるのである。そして、竹中平蔵が明示的にしたといわれる基礎的財政収支を黒字化するという家計簿的な指標というのは、明示的な目標にすることは、何の益もない。むしろ、そのことで、日本政府が国内に支出する仕事の量が、経済を回すために必要なものを大幅に下回っているため、日本のこの20年以上の低迷を作り出した大きな原因となっていることを改めて理解する必要があるのだ。
景気は悪い。格差が広がって、仕事をしても安定的でまともな収入がなくなっている人が多くなってしまっているという、巷の状況を、政治家はまず知るべきだし、当然国民も知って理解しておかなければならない。この傾向を放置しておくことは、日本経済の未来を削り取ることにしかならないのだ。