『「庶民に血を流せと」 首相「国民の責任」発言にネットで批判』
https://news.yahoo.co.jp/articles/bc9250e92a06b2016161335093974bc4b957435e
「岸田文雄首相が13日の自民党役員会で防衛費増額の一部を増税で賄う考えを示した際に「国民が自らの責任として対応すべきだ」などと発言したことを受け、ネットで疑問視する声が相次いだ。
ツイッターでは、「国民の責任」「防衛費増額巡り」「防衛増税」のワードがトレンド入りした。「勝手に(増税を)言い出して、すり替えて、責任を国民に投げ込んできた」「国土を守り、その上に住む国民を守る。これが国家、政府の責任」と非難する声のほか、「(発言の)タイミングも言葉選びもやばいセンスだ」と首相が選んだ言葉への批判なども上がった。一方で、「安全保障政策の大転換なら選挙で問うべきだ」「国民に問うて、国民が承認したらそうかもしれない」と衆院解散・総選挙を求める声も出た。防衛費増額の財源について、増税ではなく「国債でいいだろう」との指摘もあった。(略)」
岸田政権や政府税調、財務省らによる“防衛増税”のゴリ押しが連日報道され、国民や財界から大きな反発を受けています。
なにせ増税の拠り所が、「他の予算削減」→「消費増税」→「所得増税」→「復興所得税流用」→「たばこ増税」→「法人増税」とコロコロ変わる狼狽ぶりで、政権を支える自民党からも「内閣不信任案に値する」、「防衛費に悪印象を与えようとする財務省の陰謀だ」、「税の目的外使用だ」といった批判が起きています。
岸田首相やその周辺が、防衛増税の負担先をコロコロ変えてあたふたしているように演出しているのは、単に調整能力不足もあるでしょうが、増税ありきという大方針は1ミリたりとも妥協せず、負担増という時限爆弾を各所に盥回しして、「家計VS企業」あるいは「非喫煙者VS喫煙者」、「既得権益者VS改革支持者」という税負担逃れの対立構造を煽る意図があるのでしょう。
まずは国民や財界を“税負担やむなし”という枠組みに押し込め、その中で「オレは税負担したくない。アイツらに負担させろ(# ゚Д゚)」、「〇〇予算なんてムダだろッ」と噛み合い喧嘩させて結果的に“増税や予算削減”という成果を勝ち取ろうとするいつものやり口です。
岸田政権による増税のニュースのコメ欄を見ても、
「百歩譲って増税というなら企業の内部留保に課税すればいいのでは」
「増税の前に国・政府は支出節減等の努力をしたのか」
「国政から地方自治体まで代議士は半減、何層にも中抜きするような公的事業は全て実対応会社へ発注して、諸調整や管理は全て行政が行う。せめてこれくらいやってから言えよ」
「増税するのであれば何が必要だから増税する必要があると説明が必要。増税しない程度に防衛費増やすという選択肢もあるはず」
といった不甲斐ない意見が目立ち、防衛費増強を国債や貨幣発行で賄えといった積極的な意見はほとんど見かけませんし、減税や社保負担軽減、給付金支給という声もありません。
多くの国民は防衛増税構想に口先では文句を言いながらも、岸田政権や財務省ら増税緊縮派の手玉に取られ、「防衛費増強分の財源は他の予算削減+増税で賄うしかない」という枠組みの中で踊らされえているに過ぎません。
いまこそ国民は経済の基礎に対する学習が必要です。
「歳入=税金」、「財源は税金で賄うべき」という妄想や悪習を断ち切り、「経済活動を疲弊させ、国民生活の足枷にしかならない税金を国家運営の財源にしてはならない」という新たな常識にアップデートすべきです。
さて、国税庁のHPでは税の歴史が次のように紹介されています。
https://www.nta.go.jp/taxes/kids/hatten/page16.htm
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「飛鳥時代に行われた大化の改新(645年)では、公地公民(土地や人民を国家のものとすること)など、新しい政治の方針が示されました。
701年に完成した大宝律令では、租・庸・調という税や労役をかける税のしくみができました。(租は男女の農民に課税され、税率は収穫の約3%でした。庸は都での労働(年間10日間)、又は布を納める税、調は布や絹などの諸国の特産物を納める税だったようです。)」
「奈良時代には、墾田永年私財法(743年)が制定され、土地の私有化へと展開していきました。
また、平安時代には大きな寺社や貴族の荘園が各地にでき、農民は荘園領主(土地を所有する地方の豪族)に年貢や公事(糸・布・炭・野菜などの手工業製品や採取物)、夫役(労働で納める税)などを納めました。
鎌倉時代は守護、地頭や荘園領主のもとで経済が発達しますが、農民には年貢のほかに公事と夫役が課せられていました。」
歴史を辿っていくと、税の役割が公権力の行使や象徴であり、その時代に不足していた物品や労働力を政府が強制力を以って調達するためのものであったことが窺えます。
果たして、平成・令和の世に貨幣や通貨が不足しているのでしょうか?
それがまったく不足していないどころか、空前の膨張を遂げていることは日銀当座預金やマネーストックの推移を見れば一目瞭然でしょう。
そもそも、国家や政府に貨幣発行権という大権が付与されており、さらに管理通貨制度の定着により貨幣が貴金属の頸木から解放されて50年以上も経つという現代社会において、国家や政府が貨幣不足に悩まされること自体があり得ません。
適正なインフレ率さえ維持できれば貨幣発行量に限界などないのに、わざわざ国民や企業に税という奉加帳を回す必要などまったくありませんし、廻してはならないのです。
防衛増税など言語道断の下策であり、「所得増税か、法人増税か」という議論をしてはなりません。
たかが5年で43兆円程度の防衛費増強財源なんて、国債や貨幣の増発で何の問題もありません。
国民には、増税緊縮派の増税容認論やムダな予算削減論への誘導に惑わされることなく、「国債増発か、貨幣増発か」という有意義な議論にエネルギーを費やしてもらいたいと思います。