『[ヴィジュアル版]貨幣の歴史』を紹介。人類学と経済学の貨幣理論

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大変お世話になっております。
反逆する武士

uematu tubasaです。
初回投稿日時:2022年9月22日(令和4年9月22日)

最近は進撃の庶民に寄稿できず、申し訳ありませんでした。

可能な限り、寄稿できるように頑張りたいと思います。

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デイヴィッド・オレル著[ヴィジュアル版]貨幣の歴史をご紹介

本日は隠れた現代貨幣理論の入門前必読本と言える、デイヴィッド・オレル著[ヴィジュアル版]貨幣の歴史をご紹介したいと思います。

近所の書店で歴史学コーナーに陳列されていた本なのですが、現代貨幣理論のエッセンスがありましたので、購入した次第です。

まず、著者のデイヴィッド・オレルとはカナダ出身のオクスフォード大学にて数学の博士号を取得されている方のようです。

数学モデルを応用した経済学に関する著書もあるようですが、数学や経済学だけでなく様々な分野に関する著書を出版されているようです。

既存の主流派経済学に対するアンチテーゼを色濃く主張している学者さんですね。

[ヴィジュアル版]貨幣の歴史の概略

数千年前に遡る貨幣の起源、銀行券や為替手形などヴァーチャルなお金、マネーの力学と金融バブル、仮想通貨とキャッシュレス社会、行動経済学から貨幣の心理学まで、魅力的な小説のようにも読める人類とマネーが織りなす物語。

引用元:[ヴィジュアル版]貨幣の歴史のAmazonページより

内容としては前半部分は歴史学というか、人類学的な側面が強調されており、平易な文章であるため、理解しやすいです。

翻訳も正確であり、銀行が貸出を行う際の信用創造を”貨幣創造”と直訳しているあたり好感が持てますね。

後半部分は経済学というか、経済学史と主流派経済学批判の文章となり、バブル醸成と崩壊、経済予測はできないということなどが語られます。

経済学に関する文章は難易度は高めですが、写真や風刺画なども途中で挿入されているので、親近感は湧きますね。

以下に関しては、私なりに印象に残ったところだけを引用しつつ、分析した結果を備忘録的に残していきたいと思います。

結論から申し上げれば、初心者にとっても理解しやすい現代貨幣理論の入門前の一冊(入門編を読む前に読む本)と言えます。

商品貨幣論を否定するという快刀乱麻

ではまず、貨幣が出現する前は、誰もが物々交換に頼っていたという理解に立ち戻ってみたい。
この主張が真実かどうかを判断するためには、アリストテレスのような古代の哲人も、さらにいうなら現代の経済学の教科書も、適切な根拠にならないだろう。
そこで人類学に目を転じると、純粋に物々交換にもとづく経済はどうやら存在しないようだということがわかる。

引用元:[ヴィジュアル版]貨幣の歴史pp19より

デイヴィッド・オレルはアリストテレスの『政治学』を紹介し、貨幣とは物々交換の代わりに自然発生したという意見を読者に投げかけます。

しかしながら、人類学的にはそれは違うようだと主張し、商品貨幣論をばっさり切り捨てています。

現代貨幣理論においては、貨幣の起源について説明しており、古代世界における物々交換が貨幣の起源ではありません。

古代メソポタミア(現在のイラク・クウェートの地域)のシュメール人の社会制度を丹念に説明し、以下のような結論に至ったようです。

貨幣とは考案された社会的技術であるという認識

ではまとめよう。
シュメールには貨幣、負債、税金、法的処罰などを含む、機能的な金融制度があったが、その仕組みがもとづいていたのは物々交換でも硬貨でも無かった。
アリストテレスのの説では、硬貨は物々交換の中で自然発生したとされる。
だが、貨幣はむしろ考案された社会的技術というほうが的を射ているだろう。
また、この初期の形の貨幣において重要なのは、基盤となっている物質ではない。
それは今日使われている貨幣と変わらない。
そうしたものは日常ではどこを見ても存在していなかった。
重要だったのは数字だったのである。

引用元:[ヴィジュアル版]貨幣の歴史pp29-30より

上記をもっと要約しますと、貨幣は物々交換によって自然発生したものではなく、考案された社会的技術である、そして計算単位として重要だったとのこと。

計算単位として重要だったというのは現代貨幣理論を説明するまでもなく、ご理解いただけると思います。

価値尺度がこの世に無い場合、物やサービスの価格を比べることがそもそもできず、購買判断ができません。

また、借金返済や様々な罰金という社会制度がそもそも成り立たず、不便ですよね。

したがって、貨幣とは計算単位であるという主張は納得できます。

ただ、デイヴィッド・オレルは「貨幣とは考案された社会的技術である」という認識を示しており、正直理解しにくいと言えます。

以下にて、私なりの解釈をまとめてみました。

貨幣とは貸借関係から生まれた

例えば、原始的な社会において、とある農民が地主さんに対して種や農地を借りて、収穫した農作物を地主さんに現物納付するとします。

この場合、誰が借り手で誰が貸し手なのかが明白となります。
農民が借り手で、地主さんが貸し手ですね。

ただ、人間社会が大規模化、広域化、複雑化するにつれて、上記のような貸借関係がわかりにくくなります。

さらに言えば、貸借関係が発生する物やサービスというのも多種多様になります。

どれくらい価値ある物を誰がどれくらいの期間で借りて、誰宛てにどれくらい価値ある物を返すのかが煩雑になります。

そのような場合、計算単位としての貨幣が生まれ、貸借関係が対外的にも明白となります。

貨幣を持っている人間は返済能力があるから、物やサービスを提供しても大丈夫だということが全く知らない人間同士でも理解し合えるのです。

信用力を即座に見抜けるという利点があったため、貨幣は生まれ、それを支えるのが社会(というかある意味での共同体)なのです。

租税の納付手段として貨幣が位置づけられているという事例もいくつか紹介されているので、国家という共同体で貸借関係簡略化ツールを運用しているとも解釈できます。

そのような意味でデイヴィッド・オレルは「貨幣とは考案された社会的技術である」と主張したのではないでしょうか。

モンキー・D・ルフィがいないワンピース

このように分析から貨幣が脱落したために、何よりバブルを膨らませる貨幣創造の力学がモデルから除外される結果になった。
二〇一七年に欧州中央銀行のヴィトール・コンスタンシオ副総裁は次のように演説している。
「よく使われるマクロ・モデルに金融部門の存在はなかったが、金融部門は実体経済活動に間接的な影響を与えていると考えられる・・・・・・つまり、銀行が自己資本比率の範囲内で信用を拡大することにより、ゼロから貨幣を創造しているという事実が無視されていたのだ」

引用元:[ヴィジュアル版]貨幣の歴史pp187より

デイヴィッド・オレルは金融派生商品(デリバティブ)やリーマンショックなどに関しても言及しています。

とても好印象だったのは、経済モデルや経済学者の頭の中に貨幣という極めて重要で経済において主人公と言える存在を無視していることなのです。

さらに、現代貨幣理論の内生的貨幣供給理論、もっと簡単に言えば、キーボードタッチ・マネーを理解されており、それが経済モデルに組み込まれていないことを非難しております。

主流派経済学に批判的な経済学者は「王子のいないハムレット」と批判します。

私は「モンキー・D・ルフィがいないワンピース」と非難したいです。

主人公がいない物語など無価値であり、貨幣と貨幣が生まれるそのプロセスを無視する経済モデルは有害です。

余談ですが、現代貨幣理論の提唱者である「Larry Randall Wray」のユーロ(共通通貨)批判も紹介しており、素晴らしいの一言ですね。

まだ断言はできませんが、主流派経済学に批判的な学者として注目するべきお人なのではないかと。

現代貨幣理論を学びたい人は購入する価値あり

結論、現代貨幣理論の初歩の初歩としてはとても良い本であり、写真が散りばめられているため、貨幣イメージを持ちやすく、とても良い本です。

値段が若干お高いのと、電子書籍として購入することができず、紙の本で所蔵することになるのが唯一の欠点と言えます。

以上です。

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