高級食パンブームの終焉に見る日本人の貧困化

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数年前に一世を風靡した「高級食パン」ですが、どうやらブームが終わったようですね。

『行列をあまり見なくなった「高級食パン専門店」 ブームはもう終わった?』

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「テレビや雑誌で盛んに取り上げられていた「高級食パンブーム」が終わろうとしているようです。ネット上では、「高級食パン専門店の閉店が相次いでいる」という記事も見るようになりましたし、現に専門店で食パンを購入しようとする行列も、ほとんど見なくなりました。なぜ、こんなにもあっさりと、高級食パンブームはピークを過ぎてしまったのでしょうか。(略)」

『ちょっと前までブームだったのに、なぜ「高級食パン」への風当たりは強いのか』

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「「嵜本(さきもと)」「乃が美」の二匹目のドジョウを狙おうと、全国に「高級食パン専門店」が乱立したことで「なんか新鮮味ないよね」と消費者の熱が冷め、オープンしてわずか半年で閉店というケースも増えているそうだ。(略)」

高級食パンといえば、乃が美(大阪市)が火付け役となり、それまでになかった柔らかい食感とほんのり甘味のある味付けが人気を博し、1斤(通常サイズの2斤分)/税別800円という価格がちょっとしたプレミアム感を醸し出したこともあってか、一時は早朝から店舗前に行列ができ、予約販売が当たり前の超人気商品でした。

しかし、ブームが起きると、それに乗っかろうとする者が後を絶たないのが世の常で、当初は大都市にしかなかった高級食パンの店舗も続々と増殖を続け、いまや三大チェーン合わせて500店舗に迫るほどの膨張ぶりです。

週末にめかし込んで都心部のターミナル駅で買い物し、そのついでに奮発して高級食パンを買って帰り、ちょっとリッチな気分を味わうといったプチ贅沢感が高級食パンの需要を下支えしてきましたが、雨後の筍を凌ぐ勢いで店舗を増やし続けてきた結果、郊外のスーパーやそこいらコンビニの隣りにも高級食パン店が林立するのを見て庶民の特別感やプレミアム感がダダ下がりしたのもあるでしょうし、調子こいた変な名前の店のせいでブランドイメージが破壊されたのもあるかもしれません。

更にブームに冷や水をぶっ掛けたのが、原材料費などのコストアップを理由とする高級食パンの一斉値上げです。

ほとんどの高級食パン店は、これまでの1斤800円→900円(税別)へと値上げしていますし、パンの種類によっては1000円を超えるものもザラにあります。

値上げの理由は“小麦粉や乳製品など原材料価格の高騰”とのことですが、そもそも高級食パン店は一般的なベーカリーとは異なり、

①小規模店舗の展開による賃料や人件費の抑制

②“一品もしくは少品種少量生産”による材料費や包材費の抑制

③必要最低限の製造設備によるイニシャルコスト抑制

④焼上がり時間限定による光熱費の抑制

⑤低い原価と比較的高額な売り出し価格との差異による高い利益率

などの要因から、町のパン屋さんと比べてコスト耐性はかなり高いと思われますが、それでも原材料価格の高騰を理由にあっさりと10%を超える値上げに踏み切りました。

これでは、さすがに消費者もついて行けないでしょう。

サラリーマンの平均的な昼食代が600円にも遠く及ばないご時世に、ただでさえ高かった価格を平気で値上げされては堪ったものではありません。

日本経済の脆弱化や国民の貧困化を認めたくない論者は、「日本人の消費行動は二極化している。普段は節制して無駄な買い物を控え、本当にいいモノがあれば躊躇なく買う」とか言ってますが、それが真実なら巷に数多存在する“高級●●ブーム”が終わるはずありませんよね。

今回採り上げた高級食パンブームの終焉が顕著な例ですが、世に蔓延る“高級●●”や“プレミアム●●”の類いが長続きしないのは、やはり国内の需要のパイや消費力の容量が小さ過ぎるせいなのでしょう。

出始めの頃はブームに沸いても、その供給口や供給量がちょっと増えただけで忽ちブームが萎んでしまうのは、ブーム継続のエネルギーとなる“消費(=カネ)”のパワーが弱過ぎるからに過ぎません。

市井の人々は、「高級食パンのブームが終わったって?あんなもの一回食べれば十分だし、飽きられちゃっても仕方ないよ」と完全に他人事ですが、ブームの終焉は、そこで働く人々の失業と労働ノウハウやスキルの消失を意味します。

日本人の所得低迷や貧困化という現実を受け容れようとせず、他人の失敗や不幸を嘲り傍観するだけでは、いつまで経っても日本人の所得は上がりませんし、日本経済は成長できないまま、早晩後進国のお仲間入りすることになるでしょう。

国民の貧困化を無視し、経済成長を放棄していては、同じ不幸が別の業界で何度も繰り返されるだけです。

日本人は「●●ブーム」を蔑視する印象がありますが、その裏側には確実に生産ノウハウや原材料の購買、労働者の所得など“生産や需要の基本要素”が存在しており、まさに「国富(=供給力)の細胞」と言って差し支えありません。

それを蔑ろにするのは経済活動や経済成長そのものを否定するに等しい愚行としか言えません。

ブームを惹き起こした業界であれ、そうでない業種であれ、せっかく世に生まれた供給者や生産者を需要や消費を以って支えていかねば、日本の国力は脆弱化し、国民はますます貧困化するだけです。

経済問題を語るに当たり、供給サイドや生産性の側面からのみアプローチしようとする論者が後を絶ちませんが、そうした実りの無い凡庸な議論を重ねてきた結果が、延々と続く30年不況と25年も続く国民の貧困化でしかありませんでしたね。

いまこそ、需要サイドや所得UPを起点とする議論が必要です。

「まずは国内の需要や消費力を十二分に高めて、供給力や生産性UPの推進力として活用する」という発想の転換が求められています。

よく「日本人の生産性が低いから、日本人の給料が上がらない」というバカげた意見を耳にしますが、因果関係がまったく逆です。

「緊縮思考に囚われ、日本人の所得を伸ばす努力を怠り続けてきた結果、国内の需要力が貧弱化し、それを養分とする売上や収益性が落ち込み生産性が低下した」というのが事実です。

消費税廃止であれ、社保料の全額国庫負担化であれ、継続型給付金(BI)の導入であれ、国民一人一人の所得や収入を増やすのに有用な政策は、取捨選択することなくすべて実行すべきです。

「BIはネオリベ的思想だ~」などとネジのハズれた愚論を述べる馬鹿者も散見されますが、消費税廃止だけの一本足打法では、あまりにも低過ぎる国民の平均所得の名目値を上げることはできませんし、逆に、BI万能論を振りかざして消費税廃止や社保料負担軽減を蔑ろにしていては、国民の実質収入を増やすことはできません。

国民の名目所得を増やす政策、同じく実質所得を増やす政策であれば、互いにその是非を議論する必要などありません。

議論する時間自体がムダなのです。

『国民所得を名実両面から増やせる政策は何でもやる』というくらいの鷹揚な気持ちで政策を語ればよいのではないでしょうか?

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