経済活動の基本は「需要(消費)」と「供給(生産・サービス)」の両輪を間断なく廻し続けることに尽きます。
ですが、この基本中の基本を理解せぬまま、偉そうに経済論を騙る輩が後を絶ちません。
彼らの駄文をいくら読み込んでも、そこには所得・需要・消費を増やそうという思想や概念はまったく見当たらず、ただただ「モノを作れ!生産性を上げろ! 富裕層に売りつけろ! 外国人に買ってもらえ!」と叫ぶばかりです。
“モノを買えるだけの十分な所得もないのに、いったい誰が買うっていうの?”
“世帯割合のたった2%しかいない富裕層だけが一所懸命にモノを買い支えても、日本経済は成長できないだろ?”
“外国人には、わざわざ高い値段と関税を払って日本製品を買う義務なんてないんだけど?”
需要を無視した素人経済論を聞くたびに、こうしたツッコミが沸々と湧いてきますね。
『「日本人はみんな貧乏になる」岸田政権の”新しい社会主義”ではだれも幸せになれないワケ』(藤巻 健史/フジマキ・ジャパン代表取締役)
「岸田文雄首相は「新しい資本主義」を旗印に掲げている。政権発足から3カ月が経過したが、私はいまだにこの言葉に違和感を覚える。「新しい社会主義」の間違いではないか、と思うことがある。
この「新しい資本主義」という言葉を聞くたび、私は、JPモルガン勤務時代に部下の外国人たちが「日本は世界最大の社会主義国家だ」と言い残して帰国していったことを思い出す。それが彼らが数年間、日本で働き生活したうえでの実感だったのだ。
同じように「日本は世界で最も成功した社会主義の国」と揶揄やゆされることがある。護送船団方式や強固な官僚制、国民皆保険制度などとともに、高度成長を成し遂げた成功体験までもある。(略)
経済成長を実現できない現状のまま、分配だけが進めばどうなるだろか。これは中国が進める「共同富裕」ならぬ、「共同貧困」への道を突っ走ることになる。これは社会主義諸国が「不幸の分配」を行って隘路に入り、崩壊に至った過程と類似している。
私は、この長期低迷を乗り越えるためには「新しい資本主義」の構築ではなく、「社会主義的な経済運営」をやめ「真の資本主義国家」を作るのが重要だと思う。(略)」
藤巻氏の肩書が“元参議院議員”から“あやまんJapan”みたいな変な名前の会社の代表に代わったことにいまさら気づきましたが、それは横に置いておくとして、彼の長いコラムを要約すると次のとおりです。
↓
①日本の格差は富裕層に富が集中したことではなく、中間層の没落によって生じたものだ。日本にいるのは絶対的な大金持ちではなく相対的なお金持ちだけ。行き過ぎてもいない格差を是正し「結果平等」へと邁進するのは資本主義国家の仕事ではない。
②71歳の私が子供の頃は、日本は今よりはるかに貧しかった。低所得者でも気軽に寿司が食え、毎日風呂に入れる現代の貧困なんて大したことはない。
③小金持ちしかいない日本で、中間層が没落して生じた格差の是正策として小金持ちを引きずり下ろせば、彼らは日本から国外に逃れるだろう。小金持ちから搾り取っても、この国の閉塞感は改善されない。
④日本では、長い出世競争に打ち勝って、やっとたどり着いたCEO職で平均年棒が1億2000万円程度。厳しい累進課税の税金を払った後では郊外に小さな家しか建てられない。そんなありさまでは日本の若者は夢など持てない。
⑤没落していった中間層を再度引き上げるためにはパイを大きくすることだ。日本の停滞は、産業の新陳代謝や労働力の移動を促す構造改革を怠り競争不足が招いた結果だ。
要は、
・日本には小金持ちしかおらず、若者は夢を持てない
・日本人は貧しくなったと言っても、たかが知れている
・小金持ちを虐めたり嫉妬したりするのは見当違いだ
・中間層を復活させ、経済のパイを拡大するためには競争しかない
といったところでしょうか。
正直言って“老害の場違いな精神論”でしかありません。
藤巻氏の愚論・妄言には、いつもながらツッコミどころが満載です。
彼は、「日本の格差拡大は富裕層に富が集中したことではない」と述べていますが、データを見れば彼の大嘘がすぐに露呈してしまいます。
日本の富裕層世帯数は、2019年時点で「超富裕層(純金融資産保有額5億円以上」」が8.7万世帯/資産額97兆円、「富裕層(同1億円~5億円未満)」が124万世帯/236兆円とされ、富裕層の割合は、世帯数ベースで2.5%、資産額ベースで21.4%です。
一方、2000年の数字を見ると「超富裕層」6.6万世帯/金融資産額43兆円、「富裕層」76.9万世帯/金融資産額128兆円となっており、全体に占める割合は世帯数ベースで1.7%、金融資産額ベースで16.4%でした。
つまり、2000年→2019年の19年間で、富裕層の世帯数は60%近くも増え、金融資産額は95%近くも増えているのです。
また、同期間の世帯当たりの金融資産額の増え方を見ても、富裕層が2億円→2.5億円へ5千万円も増やしているのに対して、マス層(金融資産保有額3000万円未満)は1337万円→1556万円へたったの219万円しか増えていません。
こうしたデータから、日本の格差拡大には富裕層への富の集中が一役買っているのが判ります。
無論、中間層の没落も無視できません。
私は、これぞ30年不況の最大の元凶だと思っています。
ご存じのとおり、2019年度の日本人の平均年収は436万円と、2007年度とほぼ同水準、ピークだった1997年度の467万円と比べて6.7%も減っています。
20数年も経って年収が倍増するどころか減っている先進国なんて、日本以外にいったい何処にあるのでしょうか?
まさに中間層の没落ぶりを示す格好のデータだと言えるでしょう。
藤巻氏はこうした惨状や経済禍を一顧だにせず、「行き過ぎてもいない格差」だと切り捨て、「経済のパイを拡大させるためには、更なる競争しかない」とヒステリックに叫んでいます。
これほど冷酷なバカに経済を騙る資格なんてあるのでしょうか?
一般庶民の資産が20年近くもの歳月を掛けて、たったの200万円ポッキリしか増えていない(年間で僅か11万円)のに、富裕層のそれは5千万円も増えています。
この数字を見れば、小学生でも「行き過ぎた格差」だと解かるはず。
彼は、「一般庶民は金持ちに嫉妬するな!」、「金持ちを虐めても、お前らが裕福になるわけじゃないぞ!」と防御線を張るのに必死ですが、実力や努力に不相応な高額所得を懐に入れる富裕層に対する庶民のまなざしは年々厳しさを増しています。
彼らが、20数年前より収入を減らされ、資産もほぼ横ばい状態の庶民の恨みを買わずに済むはずがありません。
また、藤巻氏は、日本の金持ちはアメリなんかと比べてせいぜい小金持ちレベルでしかなく、こんなありさまでは若者も夢を持てないと主張しています。
要は、「小金持ちが真の金持ちになれるよう、国内の資産収奪システムをもっと整備せよ!」と言いたいわけです。
ですが、いまの若者の夢って、金持ちになることでしょうか?
不況しか知らない若者世代の夢は、もっと現実的です。
とある婚活サイトのアンケートを見ると、女性が結婚相手に求める理想の年収は、
1位400-500万円/37%
2位500-700万円/28%
3位700万円以上/25%
と極めて現実的な回答でした。
私が若い頃は、「三高(高身長・高学歴・高収入)」だの、年収1000万円以上だのととぼけた条件を求める高飛車オンナが大手を振って歩いていましたが、さすがに平成不況の只中で育ってきた若者は、そんな寝言を吐きません。
若者世代の夢って、小金持ちになることじゃなく、欲しいモノを買えるレベルのきちんとした収入を得ることなんです。
彼らにとって大切なのは、“小金持ちが金持ちになりやすい社会”ではなく、“普通に働けば暮らしに困らない程度の収入を得ることができる社会”でしょう。
つまり、若者世代に求められているのは、“容易に金持ちになれる社会”ではなく、“低所得者が存在しない社会”であり、“中間層=豊かに暮らせる社会”、“誰もが普通に中間層になれる社会”だと思います。
あるいは、“年収700-800万円レベルが中間層と呼ばれる社会”なのかもしれません。
間違いなく言えることは、中間層の収入レベルの絶対値をいまの1.5‐2倍程度に引き上げねば、没落した中間層を救うことはできない、ということです。
藤巻氏は、中間層の没落を是正するためには分配のパイを拡大せねばならないと述べており、その字面には賛同します。
ですが、そうした発言の二秒後に“分配のパイを拡大するためには更なる競争が必要だ。産業の新陳代謝や労働力の移動を促す構造改革をやれ!”と叫ぶ彼の本音を聞くにつけ、「やっぱり、いつものポンコツフジマキだな。┐(´д`)┌ヤレヤレ」と失笑を禁じ得ません。
所得が増えず、需要拡大の兆しすらない現状で、いたずらに産業の新陳代謝(=失業者の増加+BtoB需要縮小)や労働力の移動(=所得・雇用の不安定化)なんかやった日には、消費や投資は大シュリンクを惹き起こし、経済のパイや分配のパイは間違いなく縮小してしまいます。
買い物客がいないのに、お店を改装し、社員の入れ替えをしても、いったい誰が商品を買ってくれるというのでしょうか?
分配のパイを増やすためには、供給サイドや生産者の売上と収益が確実に増える商売環境が必要です。
そして、それは供給サイドの独りよがりな努力だけで為し得るものではなく、需要サイドの協力が不可欠です。
消費者たる一般国民の財布が日々分厚くなり、誰もが欲しいモノを躊躇なく買うことができ、値段を気にせずより便利で付加価値の高い商品を競って求めるような経済環境下でこそ、分配のパイは拡大し続けることが叶うのです。
日本経済停滞の原因は競争不足ではありません。
不足しているのは“競争の対価不足”、つまり、“競争の対価となる購買力=家計収入の絶対的な不足”なのです。
藤巻氏みたいに、需要サイドをガン無視したまま供給サイドをいくら叱咤激励しても、何の成果も得ることはできません。
供給サイドが放っておいても必至こいて競争に励むような景気過熱状態を創ることが肝要です。
そのためには、大胆かつ長期的な財政政策により、需要サイドに十分な資金供与を行い、消費意欲に火を点けてやらねばなりません。
①継続的な給付金
②消費税廃止
③社保料の全額国庫負担化
を柱に家計収入をダイレクトに増やす政策を真剣に議論すべき時期に来ています。
供給サイドに対価を与えぬまま、いたずらに競争不足を嘆いても何も始まりません。
需要サイドの長期・継続的な活性化こそ、日本の貧困化を食い止めることができる最良の政策であり、それを無視した新しい資本主義などあり得ません。