昨年末にフジテレビの中高年社員に対するリストラが話題となり、TV業界がコロナ禍により大きな打撃を受けたことが浮き彫りになりました。
マス媒体別の広告費においてTVは2018年まで安定的に1.9兆円規模で推移してきましたが、コロナ禍が本格化した2019年に1.8兆円に、コロナ自粛ムードがピークに達した昨年は1.6兆円へガクンと落ち込みました。(※データは電通資料に基づくもの)
2000年代に入ってから若者のTV離れが喧伝される割に、TV広告費は意外と減らず、少なくとも2003年以降1.8~2.1兆円辺りでほぼ横ばいで推移してきましたが、その粘りもコロナ禍の猛威には耐え切れなかったようで、終にアリの一穴が空いたようですね。
さらに深刻なのが「新聞」です。
『昨年も180万部減、全然止まらぬ「新聞」衰退の末路~「毎日」「産経」規模の部数が毎年消失している』
「2021年末に公表された日本新聞協会の最新データで、一般紙の総発行部数が3000万部割れ寸前まで落ち込んだことが明らかになった。
日本の新聞は高度経済成長期の1966年に3000万部台に乗り、その後は1990年代末の5000万部超まで拡大した。しかし、その後は下降を続け、部数減が止まる気配はまったくない。このまま進めば、本年中に一般紙は3000万部台を割り込むことが確実。高度経済成長以前の水準にまで落ち込むのも時間の問題になってきた。
日本新聞協会が2021年12月下旬に公表した同年10月時点のデータによれば、スポーツ紙を除く一般の日刊紙97紙の総発行部数は、前年比5.5%(179万7643部)減の3065万7153部だった。20年前の2001年には4700万部、10年前の2011年には4400万部を数えたものの、今や3000万部割れが目前である。
新聞協会のデータを公表前に見た全国紙の経営幹部は、「思ったほど減少率が大きくなかった。減り方は鈍化したと言える。コロナ禍で人々が正確な情報を欲し、それが新聞離れに一定の歯止めになったのではないか」と推察した。
この幹部が言うように、前年2020年10月時点のデータと比べると、減少の速度はやや緩やかになった。スポーツ紙も含めた1年前の発行部数は3509万1944部。2019年との比較では7.2%減で、その減少幅は過去最大だった。これまでに例のない落ち込みというインパクトは強烈だったから、「7.2%減」が「5.9%減」になったことに少しでも安堵したいという気持ちはよくわかる。
しかし、読者の「紙離れ」に、もうそんな気休めが入り込む余地はない。(略)」
全国の新聞発行部数が“3000万部割れ目前!”というニュースを聞いて、一般国民の反応は「ザマァーみろ&メシウマwww」か「へぇー、そうなんだ(無関心)」のどちらかでしょうね。
(私は前者です)
新聞協会の資料によると、2021年の一般紙発行部数は3,065万部で前年比▲179万部と激減しましたが、記事中の全国紙の経営幹部は過去3年の大災害(2018年/▲194万部→2019年/▲194万部→2020年/242万部)と比べ“軽傷で済んだ”と強がっているというわけです。
まさに“負け犬の遠吠え”ですよね。
記事では、対前年比▲179万部という数字の大きさを、「毎日新聞(約200万部)や産経新聞(約120万部)クラスの新聞が1つ2つなくなっている」と表現していますが、ブロック紙最大の中日新聞の発行部数が204万部、2位の北海道新聞が86万部であることを考えると、その減少量の巨大さがよく解かります。
これから180万部の新規契約を取らねばならないと仮定した場合に掛かる膨大な苦労やコストを想像すれば、涙を禁じ得ませんね。
新聞業界にとって何よりの痛手は2009年以降顕在化した発行部数激減の流れは加速している点でしょう。
2001年~2008年辺りは部数減少幅も10‐40万部レベルに収まっており、2001年と2004年みたいに対前年比プラスを計上した年もありました。
これがリーマンショックなどの影響もあってか、2009年に▲90万部と大激減に見舞われたのを契機に、以降多少の振幅はあれど、100-200万部レベルの大幅減少が常態化しています。
しかも、一般紙の発行部数はギリギリ3,000万部を維持しているとはいえ、これは悪名高い“押し紙(30‐40%と推計)”込みの数字ですから、これを除くと実体レベルの部数は既に2,000万部、もしくはそれすら大きく割り込んでいるものと思われます。
ちなみに新聞業界の広告費の推移を見ると、
2005年/10,377億円
2010年/6,396億円
2015年/5,679億円
2020年/3,688億円
と15年間でおよそ1/3に激減しており、憐れみすら感じます。
こんなありさまで、よく社員に高給を払えたもんですね…
新聞業界の雄たる朝日新聞の業績も、
2017年/売上高4,009億円,経常利益152億円
↓
2021年/売上高2,937億円,経常利益▲5億円
と見る影もありません。
まぁ、TVや新聞への広告出稿が減った分は、しっかりネット広告へと流出しており、ネット広告費は、
2018年/17,589億円
2019年/21,048億円
2020年/22,290億円
と右肩上がりで増えています。
新聞業界の凋落ぶりを見るにつけ、情報の創造・発信構造のパラダイムシフトが現在進行形で起きていることを実感します。
「不況・反成長・反日」を煽りに煽ってきた元凶、悪質なマスメディアが自分たちの蒔いた種のせいで事業環境を悪化させ、それに気づけぬまま地獄へのアクセルをさらに強く踏み込もうとするさまを見て、ある種の爽快感を覚えずにはおれません。
紙媒体からネットへという大きな流れを避けることはできなかったかもしれませんが、彼らが反成長政策に加担し、これだけ不況を加速させていなければ広告費全体のパイは右肩上がりで増え続け、TVや新聞業界は多少なりともそのお零れを拾い集めることができたでしょうから、少なくともあと40‐50年くらいは延命できていたはずです。
東洋経済の記事では、
「新聞社はあと5~6年で最終局面を迎える」
「淘汰と合従連衡が本格化し、新聞のないエリアが生まれ、そこがニュース砂漠(経営破綻によって新聞が存在しなくなるという「ニュースの空白地域」が生じて社会や政治に対する関心がなくなること)になる」
「新聞メディアの崩壊はもう避けられないが、日本の場合、ニュース砂漠の影響は大都市圏から現れる」
とかなり悲観的な予測をしています。
私も、“ぜひそうなってもらいたい”、“最終局面への突入スピードをもっと加速して欲しい”とさえ思っています。
「ネットメディア=正義」という構図は成立しませんが、少なくとも、30年不況の大元凶たるTV・新聞というオ-ルドメディアが視界から消え、国民の思考形成に及ぼす影響が最小化することによるメリットはかなり大きいでしょう。
東洋経済は、都会・地方の区別なく、新聞という情報ソースの消滅により“ニュース砂漠”が生まれ、地域住民が社会問題や政治・行政に対する関心を失くしてしまうのでは?と危惧しています。
しかし、TVや新聞の発信情報を鵜呑みにするだけで大した情報リテラシーも持ちえない層の住民は、そもそも社会や政治への興味や関心なんてほとんど持っていないのですから、TVや新聞みたいな悪質な情報屋から変な知恵を付けられるくらいなら、そういった悪意ある薄汚れた情報屋から隔絶させ、無色透明なままでいてもらった方が遥かに有益でしょう。
社会問題や政治への関心なんて、他人から強制されて身に着けるべきものではありません。
自らが強い意志を以って自発的に行動して初めて生まれるものであり、そうでなければまともなリテラシーは育ちません。
偏向や欺瞞に満ちたニュースの“黒い雨”に晒され続けるよりも、ニュース砂漠の荒野で自発的な行動と選択に迫られる方が、国民全体のリテラシーは遥かに向上すると思います。
現在、存在する大手新聞社やテレビ局の報道姿勢に問題がある事は事実であり、おっしゃる通りだと思います。
このような報道姿勢を持つマスコミ各社が淘汰される事も問題は無いと思います。
しかし、地域のローカル新聞のような会社が消滅するのは残念な事であり、良くないと感じています。ローカル紙は地域コミュニティを繋ぐ媒体の役割を果たしており愛読している高齢者が多い事実があります。また、地域の歴史を掲載する事も多く、無形文化遺産のような役割を果たしています。
地域ローカル紙まで無くなってしまうと地域コミュニティの衰退に拍車が掛かってしまうと危惧しています。
現在の大手マスコミ各社やその報道姿勢は淘汰されて然るべきですが、コミュニティ維持のために新聞と言う媒体の仕組みは残って欲しいと考えています。
地域のローアル新聞が歴史や文化の情報発信源になっている側面は確かにありますよね。
一方、そういった記事をよくよく読んでみると、日本の戦争責任を過大に誇張したもの、中韓アゲ&日本人ヘイトに偏ったもの、LGBTやフェミに過剰に肩入れするもの、再生エネ讃美&反原発にこだわるものなどなど、過度に左傾化した内容が随所に見受けられます。
つまり、ローカル紙の態を装ってはいますが、その実態は「週刊金曜日」そのものでしかありません。
こんなものは廃刊になって然るべきでしょうね。