これまでは、国民の方にもマダ余裕があったから自粛でもなんでもやれてきたのだろう。自助政権はあくまでも、最小にも満たない補償しかしない割に自粛という形で自主的な経済活動の抑制を要請してくる。コロナの感染拡大は接触機会の減少で抑えられることはわかってはいるが、仕事ができない状態では収入もなく未来も感じられない状況に置かれるのである。それを緩和することは政府にしかできないはずなのだが、そんなことも検討する前に万策尽きたとか言われても、ナンノコッチャと思うしかないだろう。
2週間伸ばした緊急事態宣言の解除もこれ以上は伸ばさないということを内部的には決定したという情報がリーク(意図的だろうが)されている。経済を回さないといけない派にとっては、さっさとそれを行なえということであろうが、その真相は、行くも引くもどちらにしても、対して根拠はなく、当初の2ヶ月の期間からなんとなく伸ばしては見たものの、それまでのゆるいやり方以上の追加の工夫なされることなくそのままダラダラやっていただけであった。それ故に、接触機会を抑えるという効果そのものが消え失せてきており、結果として以前より接触機会が増えてしまうという状況を作り出してしまったのだろう。東京都においては、感染者数の傾向が下げ止まって、少し増加しているようにも見える傾向になってしまっている。大きく増える、というところまで入っていないが、もう少しなんとかしないと、再び増加するという可能性すらあるという、緊急事態宣言の解除のタイミングとしては微妙な感じになってしまっている。
そもそも、いろいろ賛否両論を読んだ状態で、当初は1ヶ月と言っていたものを2ヶ月に伸ばし、更に2週間伸ばしてきた、緊急事態宣言解除においても、その中で必要な内容というものを吟味することなく、ただ漫然とやりつつけてきた。飲食業に対してのみ夜8時以降の営業の停止を求め、協力した事業者には、どんな規模の事業者でも一日6万円を保証するという、流石に雑すぎる補償のやり方はしたが、事業の規模がでかいところは一方的に損を株sってしまうという状況などはわかりきっているのに、その補正もせず、放置している。そして、なにより、昨年1階限りしか行われなかった、10万円給付も、その2回めが全く行われる気配すらなかった。たしかに、その要望は国民側から出ているのにも関わらず、完全に無視を決め込んでいたのである。
そして、当時から言われていた消費税の減税要望や、各種税金の徴収を止めること、社会保険料などの減免など、収入が相当抑制されている人達に対する補償はコロナによる経済被害の機関が1年以上と長期化している状況では、追加的に対策するべきなのに、それをしようとしていないことが続いているのである。
政治側では、そういう経済環境のリアルよりは、平時の政治力学のみで政治が決められているという現実がある。首相が言っているように、自助を第一とする解決策に据えているため、政府が自助をしない国民を助けるという考え方を最初から放棄していると言えるのである。それでも、目先の問題は、対処しようとする姿勢だけは見せている、というのが、協力金の対応なのであろう。その効果や変なルサンチマンを貯めてしまうという無駄に大きくなる不公平感などは全く考慮していない姿勢は、そんな根本的な考え方からくるものであろう。政府は国民を助ける気がこの期に及んでないという恐ろしい話である。
そんな異常な形の貧困化が進む状況においても、平時でやりつつけてきた、売国法案などは着々と成立させている。特に気になる話は、アトキンソン氏の自説である中小企業を合併させなければならないというやつは、こんな非常事態にもか買わず、制度化されて進められる。その手続などの手数料で儲けるのも、政商としてうろついている企業軍だったりする。そもそも、そんな形で買収する会社が、国内の会社とも限らず、外資である可能性を排除していないところが、真の目的を示唆するものだろう。
手の内ようがないというのは、目先のやり方だけを見ただけのことであり、経済政策をなどを含めた政策全体においては、むしろやっていないことのほうが多いのである。そんな適当な状況で、オリンピックをやるとか言われても、流石に優先することの順番が異なるという感覚にしかならない。コロナ感染症の問題が片付かない中でやるとすれば、やらないときよりもより強力な制御が必要なことはわかりきった話であり、そのやり方を検討すらしない状況で推進しようというのは、都合の良いところだけをいただこうという、無責任極まりない判断だと言えるだろう。