なにかと話題の“ジェンダーフリー”や“ジェンダー平等”ですが、次世代の担う若者層はそれをどう思っているのか、私も興味はあります。
いまの20-30代の若者世代と接していると、彼ら・彼女らのジェンダー意識は昭和のオジサン・オバサン世代とは比較にならぬほどフラットで、
・家事・育児の男女分担は当然
・女性は“家内・妻”というよりも、ともに生活を営むパートナーという意識
・男性の多くは妻にも外で働き共稼ぎすることを望む
・互いの実家とは程よい距離感を保つ
・男性が仕事を理由に子供の重要イベントをキャンセルするのはNG
等といった意識が色濃いようですね。
私は、議員や会社役員などの女性の割合を予め一定数に定めて起用するクオータ制のような利権まみれの不平等制度は絶対に認めたくありませんが、若い世代が互いを思い合い、自発的にジェンダーの壁を取り払って相互扶助するような意識や行動は歓迎すべきだと思います。
ですが、一部の狂信的なフェミニストが差別利権に集ろうと話を男女差別にすり替えて、「男は存在自体が差別だ~」、「女性を優遇しろ~」、「私たち利権を寄こせ~」と跋扈するのを放置するのは問題です。
『大学生のジェンダー意識「日本は男社会」という実感がない男子、危機感をもつ女子~社会に出たら毒されるのかも…』
(原田 曜平/マーケティングアナリスト)
上記の記事は、Z世代と呼ばれる大学生の男女8名によるジェンダー意識に関する座談会を収録したものです。
Z世代の定義は次のとおりです。
「日本では1990年後半頃から2012年頃に生まれた世代を指します。 Z世代は、デジタルネイティブであり、SNSネイティブ、さらにスマホネイティブでもあるといった特徴を持っています」
まぁ、いまの大学生から30歳くらいの世代を指すのでしょう。
【参照先】
座談会は、ジェンダー格差をあまり感じない男性陣と、その無関心・無意識ぶりにイラつく女性陣との対立というありきたりな構図で進められています。
【森(男/青山大3年生)】
「僕は男女を区別して考えたことがあまりないので、メディアで「日本は男社会」「男性が優遇されている」といった声が上がるたびにびっくりします。そんなの感じたことないのになって。男女の区別って、それこそ恋愛面とかトイレが別とか、服にレディースとメンズがあるとか、そんなところでしか意識したことがないですね。」
という発言に対して、早速女性が嚙みつきます。
↓
【末石(女/立教大3年生)】
「その無自覚なところに怖さを感じます。怖さって言うよりむかつきかな(笑)。女性差別や男女不平等は確かにあって、それは社会人になったらきっとわかると思うんですよ。森くんの言う通り、私たちの世代は男だから女だからっていう考え方はしないけど、上の世代ではまだまだ根強い。だから私たちの中でも、社会人になってから毒される人が出てくるかもしれないですね。」
私は、森君の「僕は男女を区別して考えたことがあまりないので、メディアで「日本は男社会」「男性が優遇されている」といった声が上がるたびにびっくりします」という言葉を素直に受け容れます。
Z世代は幼少期から男女平等の風潮や空気の下で育ってきたのですから、彼自身、女性を下に見たり蔑視する気持ちがなく、同世代を生きるパートナーとして捉えているのでしょう。
そんな彼にとって、マスゴミが喧伝する「日本という男性優位社会で女性は虐げられている」というセリフは違和感以外の何物でもないことは容易に想像がつきます。
ところが、昨今のジェンダー平等運動を「利権を手にする絶好の勝機」と捉える女性陣は、ジェンダー“平等”では飽き足らず、さらなる“女性優遇”を狙って、「その無自覚なところに怖さを感じます。怖さって言うよりむかつきかな(笑)」と素直な彼をせせら笑い、ここぞとばかりに攻撃します。
強欲な彼女にとって「形式上の平等=負け」であり、「優遇=真の平等=勝利」なんでしょう。
末石さんは、自分たちの世代は男女平等意識があるかもしれないが、上の世代は男女格差を当然視している、と文句を言ってますが、それなら攻撃すべきは昭和のオヤジやババア世代であり、森君を始めとする同棲代の男性陣に対して、「コイツらも年を取ると男女格差思想に毒されるかもしれん」と執拗に責め立てるのはお門違いです。
男女格差思想撲滅を訴えたいなら、おうちに帰ってパパやママに突っかかればいいじゃないでしょうかね?
もう一人別の方の発言を紹介します。
【鈴木(女/桜美林大2年生)】
「私は女性が軽く見られてるなと思うことはあります。私の周りには夜職(よるしょく=水商売)をしている子が多いんですが、おじさん客の態度を聞くと女性をモノとして見ているように感じます。問題を抱えていて夜職をせざるを得ない子も多いのに、上から目線でお説教するおじさんもいるみたいで。パパ活でも、会った女の子のことを容姿何点とかSNSで採点している男性がいるんですよ。そんなことする人いまだにいるんだなってがっかりします。」
いやいやいや…。
ジェンダーとか格差云々以前に、桜美林大ってキャバ嬢や売春婦養成大学なんですか?
自分の回りに、キャバ嬢やホステス、パパ活(=売春婦&脱税)が多いなんて、ヤバすぎるでしょ?
こういうことを恥じらいもなく公言してしまうあたり、あまり言いたくはないのですが「偏差値って正直だな…」と嘆息せざるを得ません。
おじさんが女性をモノとして見てるとか、容姿を点数付けしてるとか、グダグダ文句を垂れてますが、性を売り物にする商売で高い金をふんだくっておきながら、男のイヤらしい視線がムカつくなんてのは、「手の込んだ料理を出したら、客が美味しそうに食べててめっちゃムカついた!」と怒るようなもんで、世間の人から失笑を買うだけですよ。
さらに先ほどご登場の末石さん。
【末石】
「バイト先で感じたことがあります。居酒屋で酔っ払ったおじさんにセクハラされたり、コンビニでお客さんから容姿のことを言われたり、彼氏がいるかどうか聞かれたり……。私が男性だったらこんなこと起こらないだろうなって。あと、男友達と何人かで遊んでいた時、女性が私だけだったからか「やっぱ女の子がいると華があるわ」って言われて違和感を覚えました。「何で私が場を華やかにする役を期待されてんだろ」って。」
セクハラおやじって本当にクソですね。
存在そのものが社会のゴミです。
「セクハラおやじは滅菌すべき」というご意見でしたら、私も即賛同します。
ただ、「私が男性だったらこんなこと起こらないだろうなって」というのは、残念ながら“否”です。
もし、末石さんが男性だったら、バイト先のパートのおばちゃんから容姿をジロジロ眺められた挙句、「○○くん、彼女いないの?」、「休みの日は何してるの?」としつこく聞かれたり、必要もないのにボディタッチされたり、コンビニのレジでまごついていると、面倒な客から「男のくせに要領が悪いな。グズグズするなよ!」と怒鳴られたりするでしょう。
社会には他人に迷惑をかけることを何とも思っていないゴミ野郎が掃いて捨てるほどいますから、男女の性差に関係なくムカつく事に遭遇するのは避けられません。
また、彼女の「やっぱ女の子がいると華があるわ」って言われて違和感を覚えました」という発言は、司会の原田氏から、「セクハラや容姿のことは一般認識としても問題外だとして、「華がある」は、きっとその男友達は褒めようとして良かれと思って言っている。そして、多分華やかにする役を押し付けようという意図はない(のでは?)」とやんわり窘められていますが、自意識過剰というか過敏症というか、誉め言葉や場を和ませる意図で発した言葉でさえ、悪意ある言葉と断定して非難するのは、あまりにもジェンダー問題を拗らせすぎで、「ジェンダー平等運動は、何を言っても悪意に変換し、噛みついてくる頭のおかしい連中の巣窟」だとフェミニストの印象を貶めるだけです。
彼女の発言に対して男性陣からも反論がありました。
【田中(男/早稲田大2年生)】
「僕は、人によって差別を感じる基準が違うなって感じています。例えば「華がある」っていう言葉、僕も悪気なく言っちゃうと思う。逆の立場だったら、「やっぱり男子がいると頼もしいね」って言われても僕は全然気にならないです。男性のほうは悪気がないのに「それはフェミニズム的にアウト」って言われると……。何を差別と感じるのか、そこをすり合わせるような教育が必要なのかもしれません。」
そして、司会の原田氏からもフォローが入ります。
【原田】
「「頼もしいね」と言われて、男性だから責任を押し付けられたように感じて嫌だと感じる男性もいるかもしれません。君は違うけれど、今時はそう感じる若年男性は増えている気もします。」
まさに正論で、フェミニストが単細胞なのは、相手の立場や都合を一切考慮せず、ただただ自分たちを一方的な被害者の立場に置き、自分たちに都合の悪い考え方や言葉を徹底的に思想狩りや言葉狩りで弾圧する点です。
自分たちが気に喰わない言葉…。
それと同じ言葉を掛けられる男性はどう思うのかを一切考えず、「被害者になってよいのは女性だけ」、「優遇されるべきはオンナだけ」と言い放つ傲慢な態度は、社会的には到底受け容れられるものではありません。
フェミニストどもには、
①攻撃する相手を間違えるな
②たまには相手の立場に立って物事を考えろ
③自分たちだけが被害者だという思い上がりを捨てよ
と言いたいですね。