「しまじろうのわお」子ども番組にみる正義の歪み

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先日、たまたま仕事が休みでテレビをつけていると、「しまじろうのわお」という子ども番組をやっていた。暇だったのでぼーと見ていたのだが、その内容に少し違和感を覚えた。制作者が何か意図をもっているわけではないと思うが、この番組のなかの二つのコーナーの内容に現政権の問題を矮小化したり、国民に過度な我慢をするよう迫るようなものを感じたのである。

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「ごめんと いわせて」嘘をつくことが簡単に許されてよいのか?

アニメコーナーでは「ごめんと いわせて」という題で、「しまじろう」とその友達の「とりっぴい」がおもちゃを公園のベンチに置いて遊具で遊んでいたところ、通りかかった「きっこ」が不注意でそのおもちゃを壊してしまうが、それを正直に言い出せず、とりっぴいはしまじろうを疑いケンカになってしまうが、きっこが勇気を出して正直に言って解決するという内容だった。

大人は子ども達のために嘘つきを絶対許してはならない

子ども向けならこういうハッピーエンドの内容でもいいかもしれないが、大人目線で見ると違和感が残る。きっこが安易についた嘘は、一時的にせよしまじろうととりっぴいの友情にヒビを入れるという甚大な被害を与えており、簡単に許さず、同じようなことを繰り返さぬようきっこにもっと反省を促すべきではないかとも感じた。というのは、国民を欺き進められている消費税増税や緊縮財政、水道民営化、日米貿易協定などの政策による人々の生活への被害、公文書の改ざん、隠蔽、虚偽答弁による行政全体への信頼低下など日本国家全体に多大な損害を与えている「安倍政権の嘘」を許容するような風潮になることが危惧されるからだ。子ども達の未来のために安倍政権の嘘を絶対に許さないというのが大人の責任である。

童話「三つの願い」 真面目に生きる人々がささやかな欲さえ我慢させられる社会こそおかしい

もうひとつ違和感を覚えたコーナーがある。それは、「せかいのおはなし」というコーナーだ。これはアニメーションをまじえ、世界中の童話などを朗読するという内容で、今回は「三つの願い」という話だった。「三つの願い」は、「もっと良い家に住みたい」、「良い服を着たい」などといつも思っていた夫婦の前に小人が現れ、三つ願いをかなえてあげると言い、妻は「ソーセージが食べたい」と言いソーセージが出てくるが、夫はそんなことに一つの願いを使ったことに怒り、「ソーセージが妻の鼻にくっついてしまえ」と言いソーセージは妻の鼻にくっついて取れなくなり、慌てた二人はソーセージが妻の鼻から外れるように叫びソーセージは外れるのだが、三つ願いを全て使いきってしまうというストーリーである。人間の強欲を戒めるというようなメッセージを込めた物語なのだろう。

真面目に働けば誰もがささやかな欲望を叶えられる世の中こそ健全

私には「三つの願い」の夫婦が強欲な人間だとは思えない。夫婦はべつに遊んで暮らしているわけではなく、木こりとして真面目に働いているのだから、美味しいものが食べたいとか良い服やマイホームが欲しいといったささやかな欲をもってもバチは当たらないと思う。そんなささやかな欲望さえも庶民は小人でも現れないと叶えられないような社会こそおかしいのではないだろうか。

消費税増税や緊縮財政への国民の健全な怒りが抑えられることを危惧する

制作者が政治的な忖度をしているとは思いたくないが、こういう物語が歪曲され、消費増税や緊縮財政によって生活が苦しくなったことに対して国民が政府に怒ることは欲深く恥ずかしいことであり、「痛みに耐える」ことが美徳というような風潮になることが危惧される。

子ども番組を純粋に楽しめるよう政治を変えよう

大人達が子ども番組を私のようなひねくれた見かたで見ていたら一緒に見ている子どもは楽しめないだろう。私だって好き好んでこんなことを思っているわけではない。しかし政治が今のようなありさまではどうしても私はこういうことを考えてしまうのだ。子どもも大人も純粋な気持ちで子ども番組を楽しめるよう一刻も早く国民の力で政治を変えるべきだ。

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