英語教育改革・センター試験改革は不要

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『英語教育改革・センター試験改革は不要』

バブル崩壊以降の改革はほぼ全て失敗だった。
例えば、中選挙区制から小選挙区制への改革は、与党の勝ち過ぎや政党の風に乗るだけの議員の当選から議員の小粒化を招いた。
小泉チルドレン・小沢チルドレン・安倍チルドレン等の小粒議員達を誕生させただけだ。
維新の会・みんなの党・希望の党のような風頼り政党を招いた。
度重なる消費税増税も、実際には増税による消費の低迷を招き、法人税収と所得税収を減らしただけだ。
郵政民営化も郵便局の負担を増やして、外資にゆうちょやかんぽのマネーを流出させただけの売国政策だった。
こうして見ると、度重なる改革はろくなものがなかった。
TPP、RCEP、FTA、水道民営化、電力自由化、種子法改悪等とろくな改革の馬鹿騒ぎが続いている。
だから、最近では改革=胡散臭いというイメージになりつつある。
英語教育改革やセンター試験改革も上記同様の胡散臭さ満載の改革である。
河合は現在28歳なので、約10年前にセンター試験を受験した。
センター試験の良いところは、
一、受験生が自己採点しやすい。
二、採点にミスが生じない。
点に集約される。
センター試験は受験生が自己採点する。
問題用紙と解答用紙の両方に解答を書くのだが、択一式なので、時間はかからない。
問題用紙には、選択肢に丸を書くだけで良いからだ。
問題用紙は持ち帰って自己採点し、解答用紙を提出する。
ところが改革後は、記述式になるから、問題用紙・解答用紙の両方に長々と書かねばならない。
受験生に大変な負担を強いるのか?
また、択一式なら採点ミスが生じようがないが、記述式では採点ミスが生じまくるだろう。
何故なら、数十万人の受験生を記述式で統一した基準で判定するのは実質無理・不可能である。
例えば、東大受験する者はせいぜい1万人である通り、一つの大学の受験者には限りがあるし、受験生の学力のレベルもさほど離れていない。
だから、各々の大学関係者が、受験者それぞれの解答から、受験生の学力を比較・検討する余裕がある。
また、数十万人分も採点するだけの人員を民間で用意するらしいが、記述式の採点がきちんとできる人材の質と数を揃えるのも不可能だろう。
大学関係者より学力が劣等生の民間の人達にきちんと採点ができるはずがない。
また、記述式を採用したり、重点を置いている大学も二次試験で記述式を用いており、一次は択一式のセンター試験だ。
更には、記述式は学力の差がはっきり出やすい。
だから、記述式は学力が近い者同士の差を浮かび上がらせて、採点するのには向いている。
東大受験者も下位大学受験者も同時に受験する一次試験に記述式を導入すれば、解答のレベルが上下で激しくなりすぎ、部分点の採点に大変難儀するのは目に見えている。
上に合わせれば下が立たず、下に合わせれば上が立たない。
それなら、一次試験は今まで通りの選択式・択一式を採用した方が良いだろう。
以下の記事のように、英語教育改革・センター試験改革に批判的な見解は多数存在する。
断言できるのは、英語教育改革・センター試験改革も今までの各種改革と同様に失敗に終わるだろう。
『将来の子供達に英語力の4技能はそもそも必要か?』
英語教育改革・センター試験改革をする理由は、現在のセンター試験では、読む能力と聞く能力が測定されているが、話す能力と書く能力が測定されていないからというものらしい。
しかし、それなら話す能力と書く能力とやらを測定したい大学が、二次試験で記述式試験をしたり、英語面接をすれば良いだけではないか?
既に記述式試験は二次試験で一般的である。
英語に4つの能力の審査を入れたら、英語の比重が大きくなりすぎる。
そもそも、他の教科の学習時間も必要なのだ。
ただ、河合がそもそもの疑問として主張したいのは、これからはグローバル化だから英語の時代だという考え方は、時代遅れで古いのではないかと言うことだ。
実際に英語発祥の地のイギリスは、グローバル帝国だった大英帝国時代と決別している。
イギリスはジョンソン首相のもとで、グローバル的なEUから離脱し、ローカル国家に還ろうとしている。
アメリカもトランプ大統領のもとでグローバル帝国からローカル国家に還ろうとしている。
英語が盛んな二カ国がローカル国家に還ろうとしているのに、これからもグローバル化の時代が延々と続くのだろうが?
日本のみが世界の流れに逆行してグローバル化が進行していくと言うのだろうか?
先ず、冷静に現実を見てほしい。
グローバル化と叫ぶ馬鹿連中が多いが、実際に日本にやってくるのは中国人や韓国人ばかりで、英語圏の人間は少ない。
それなら、中国語や韓国語を学んだ方がマシかもしれない。
また、これからの世界は人工知能が発達して、機械の翻訳能力も飛躍的に向上していく。
すると、人工知能や機械に詳しくなるべきで、プログラミング言語を学ぶべきではないだろうか?
だから、河合としては英語教育改革以前に、そこまで英語教育に力を入れるべき意義が分からないとしか言いようがない。
いい加減、日本人皆が一列横並びで英語を習う必要はないと思うくらいだ。
むしろ、多様性こそが生き残る道だから、中国語・韓国語・プログラミング言語等の英語以外の様々な語学の教育を強化すべきと思うくらいだ。

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