「欲しいものがいつでも手に入る社会」を目指すのが、文明人たる者の責務である

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我が国では、この二十数年間というもの、緊縮政策と構造改悪の嵐が吹き荒れ、中所得層の多くが低所得層へと没落し、サラリーマンの平均所得は未だに平成9年のピーク(なんと20年以上も昔‼)を超えられずにいます。

その結果、GDPも増やせず、成長を続ける他国や途上国の追い上げに遭い、食料品や水産資源、鉱物資源の取り合いの場において、惨めな敗北(買い負け)を喫することもしばしばです。

また、世界に誇る日本の科学技術力を牽引してきた大手電機産業も、その多くが海外資本の傘下に入り、かつては世界最大の生産台数を誇っていたパソコン事業も、ほとんど外資の手に売り渡されてしまい、日本の科学技術力は2028年ころに中国やインドに抜き去られるとの報告もありますね。

かような惨状を脱し、我が国の経済を再び力強い成長軌道に乗せるためには、需要力と、それを養分にする供給力の両面から、強力にテコ入れせねばなりません。

私自身、自ブログや、この進撃の庶民コラムで、たびたび超積極財政政策の実行を訴えてきたのも、こうした背景や危機感があるからです。

いまや日本経済は衰退と弱体化の泥沼に完全にはまり込み、後進国化のリスクが眼前に迫っているのですが、国民や論者の多数派を占めるのは、「あれは無理、これは不可能」と悲観論しか言わぬ衰退派や、「日本はもう成長できないし、すべきではない」と豪語する積極衰退派(=増税緊縮派)ばかりで、“危機感ゼロ+抗戦意志ゼロ+やる気ゼロ”のトリプルゼロ状態です。

我が国は、いつの間に、こんな腐り切った怠け者だらけの浮浪者国家に成り下がったのでしょうか?

増税緊縮を声高に叫んだり、それを唯々諾々と受け容れたりする連中は、妙案をひねり出す気持ちもやる気もないくせに、自分たちの怠惰さが日本経済衰退の原因だと非難されることだけは我慢ならないようです。

国民が、経済衰退や貧困化のリスクに対して敏感にならぬよう、

「人口減少国家に成長は望めない」

「各人が身の丈に合った生活で満足しよう」

「高度成長が二度あった国はない」

「経済的成長ではなく、精神的満足を追い求めよう」

と、経済成長や国民所得上昇に対するネガティブキャンペーンを張るありさまです。

持論を護り、自分のプライドを傷つけないためなら、日本の科学技術力が地に堕ちても、国民が貧しくなっても、一向に構わない、という気の狂った連中の虚言が、メディアのあちこちに踊っています。

以下にご紹介するのも、そんな増税緊縮派の虚言コラムの一つであり、そのバカバカしさを指摘しておきましょう。

『MMTが主流にならない理由を「ストーンズの名曲」で読み解く』(加藤 出/東短リサーチ代表取締役社長)

MMTが主流にならない理由を「ストーンズの名曲」で読み解く
「いつも欲しいものが手に入るわけじゃない」──。英ロックバンド「ザ・ローリング・ストーンズ」が1969年にリリースした「You Can? tAlways Get What You Want」(邦題「無情の世界」)において、ボーカルのミック・ジャガー氏はそのフレーズを切々と歌っている。

「「いつも欲しいものが手に入るわけじゃない」──。英ロックバンド「ザ・ローリング・ストーンズ」が1969年にリリースした「You Can? tAlways Get What You Want」(邦題「無情の世界」)において、ボーカルのミック・ジャガー氏はそのフレーズを切々と歌っている。

 人生には思うようにならないこともあるけれど、理想を追い掛けているうちに、実は望んでいたものが身の回りにあることに気付いたりするんだよね、といったメッセージが歌われている。(略)

 MMT派の経済学者は、自国通貨で国債を発行できる国は、政府債務の膨張を気にせずに政府支出をどんどん拡大できると主張している(ただしインフレが高騰しない限りにおいては)。(略)

 しかし、前掲コラムの著者John Coumarianos氏は、ベネズエラやジンバブエを見ても分かるように、増税なしにはそうした政策を実施できないと述べている。「ストーンズが正に気付かせてくれたように、欲しいものはいつも手に入るわけではない」。(略)」

加藤氏の主張は、

「政府債務など気にせず政府支出を永久に拡大させ続けられるというMMTをはじめとする積極財政論が主流派になることはない」

「欲しいものがいつも手に入るような世の中なんて絶対にありえないし、そんな世の中にしてはならない」

「ハイパーインフレを起こしたベネズエラやジンバブエを見ても分かるように、増税なしの財政政策なんてありえない」

ということでしょう。

一言でいうと、固定観念に囚われた、幼稚で非合理的かつ前近代的な呪術まがいの空論・虚言の類いですね。

まず、彼の現状認識がズレまくっているのが、「ストーンズが正に気付かせてくれたように、欲しいものはいつも手に入るわけではない」なんてドヤ顔で語っている点です。

平成不況以降、“欲しいものを手に入れられてきた”日本人なんてごく僅かしかいないはずなのに、彼の云い草は、あたかも多くの日本人が身の丈以上の贅沢を要求しているかのように聞こえます。

ですが、日本人の実質可処分所得はほとんどの世代で減ったか横ばい程度でしかなく、働く者の4割を占める非正規雇用労働者の年収は180万円にも届きません。

【参照先】

https://www.dir.co.jp/report/research/law-research/tax/20190412_020743.pdf

果たして、彼らは、欲しいものをいつでも手に入れるような幸せを掴めたのでしょうか?

そんなわけありませんよね。

非正規雇用を余儀なくされる方々をはじめ、正規雇用に就いている方でも、欲しいと思ったモノやサービスを躊躇なく買うことができる人なんてほとんどいませんよ。

多くの労働者は、家をあきらめ、車をあきらめ、旅行をあきらめ、好きなものを食べるのをあきらめ、洋服をあきらめ、外食をあきらめ、教育をあきらめ…と、あらゆる消費をあきらめざるを得ません。

それこそが、平成不況化の国民が身をもって体験してきた、あまりにも過酷すぎる現実です。

そもそも、国民の労働の最大の動機は、“欲しいものを手に入れるため”ですから、それすらままならない経済環境を善しとする加藤氏の言説は、資本主義経済自体を頭から否定する愚論や妄言でしかありません。

積極財政が国内産業に仕事を与え、それが所得増加に化けて国民の生活水準を引き上げ、国民の消費意欲を刺激して、モノやサービスの質の向上を促し、結果的に国内産業(供給サイド)の技術水準やサービスの質を向上させる経済サイクルの善循環こそが、資本主義にビルドインされた最大のエネルギーなのに、加藤氏みたいな増税緊縮バカは、口先では資本主義を礼賛する癖に、実際には、その血流をぶった切ろうとする毒薬ばかりを投与しようとします。

「誰もが、今日より明日はよい日になると信じられる社会」

「普通に働けば、欲しいと思うものを躊躇なく買える経済環境」

これこそが、積極財政派の目指す社会です。

“政府支出なくして民間経済の発展なし”、“経済発展なくして国民所得の上昇なし”、“国民所得の上昇なくして生産力やサービス力の向上なし”という原理原則さえ踏まえておけば、経済政策のベクトルは自然に一定の方向を向くはずであり、その過程で適切な分配政策や人材育成政策を行えばよいでしょう。

私自身は、日本人の誰もが十分な職と所得に恵まれ自信をもって幸せに暮らすことができる社会の実現という目的のためなら、政府紙幣増刷による財源創出や無税国家も厭わずという過激な超積極財政論者です。

一部の教条的なMMTerのように、貨幣負債論や租税貨幣論といった妄想や空論を支持する気などまったくありませんし、銀行の信用創造やラーメン屋の支払い形態を以ってスペンディングファーストの仕組みを説明するような愚を犯すつもりもありません。

MMTの有名教授に褒められたことを持説の箔付けに利用するような恥ずかしい真似をする気もありません

また、“現実を説明したつもりで実戦能力ゼロの経済理論”にも興味はありませんし、反論に困って「教科書を読めよ(# ゚Д゚)」と醜態を晒すつもりもありません。

さらに、教条的な論理展開が破綻した挙句、

「税金は政府の財源ではないというのがMMTのコア思想」

「税こそが政府支出の源泉だ」

と、韓国人まがいのムービング・ゴールポストを発動させる気もありません。

現実から目を逸らさず、熱意と持論を以って、ただひたすらに増税緊縮派がのさばる現実と闘うのみです。

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