7月4日に参議院選挙が公示され、本来なら選挙戦も真っ盛りという時期のはずですが、衆参同日選が吹っ飛んだせいか、いまいち盛り上がりませんね。
ネット上でも、山本太郎だ、野党だ、自民だと様々な声が上がっていますが、私自身、与野党双方の候補者の低レベルぶりに呆れ返っており、選挙に行くことすら苦痛に感じています。
それでも、毎回、近所の投票所に足を運んでいますが、投票用紙の記入台の前に掲載された候補者リストを見るにつけ、「いくらなんでも酷すぎる、こんな奴らしかいないのか…」と嘆息せざるを得ません。
正直言って、候補者の中に政治信条や経済観念が、おおまかにでも一致する者は一人もおらず、投票用紙に名前を書くのさえ頭痛を覚えます。
まぁ、せっかくの機会ですから、皆さんは自らの思想信条に従い、よりマシな政党や政治家に投票すればよいと思いますよ。
『首相「イエスかノーかは印象操作」 党首討論で挙手せず 手法に疑問』(毎日新聞)
「参院選を前に3日にあった日本記者クラブ主催の党首討論会で、クラブ側から該当する場合に挙手を求められた質問で、「原発の新増設を認めない」「選択的夫婦別姓を認める」の2項目で、安倍晋三首相のみ手を挙げなかった。また、「LGBTなど性的少数者への法的権利を認める」については、安倍首相と公明党の山口那津男代表の2人が挙手しなかった。
一方、「女系天皇を認める」については、共産党の志位和夫委員長と社民党の吉川元幹事長の2人が挙手した。
ただ、これらの質問については、安倍首相は「政策的な議論をしなければならない。政治はイエスかノーかではない。今の段階で答えられなくても直ちにノーではない。印象操作をするのはやめてほしい」と苦言を呈した。」
記事にある党首討論会で、安倍首相はマスゴミに対して、印象操作を止めろとブチ切れたそうですが、別に回答に窮するような質問ではありませんよね。
彼や、自身が率いる自民党は、新自由主義者や構造改悪主義者の巣窟であることは周知の事実なんですから、いつも口にしているとおり、
①女性天皇→△(二階は○)
②女系天皇→×
③選択的夫婦別姓→○
④LGBTの法的権利→◎
⑤原発新増設→×
と答えればいいんじゃないですか?
Yahooニュースのコメント欄には、「100か0かという質問は、どうかと思う。揚げ足取りも多いし」といった安倍擁護コメントもありますが、政治家たるもの諸問題に対するおおまかな賛否を示すことくらいなんでもないはずです。
「YES or NO?」という問いから逃げ回るようでは政治家失格です。
100か0かの話になるのが嫌なら、先ずYESかNOかを答えた後に、自身の真意が80なのか20なのかを追加で説明するだけのことでしょう。
本来なら安倍首相は、国政選挙を前にした注目度の高い党首討論の場で、“女性天皇・女系天皇・選択的夫婦別姓・LGBTの法的権利・原発新増設”の5項目しか挙手を求めなかった日本記者クラブの連中のバカさ加減に対してブチ切れるべきでした。
参院選の投票判断で国民が重視する政策課題のツートップは、常に「年金・社会保障の充実」と「景気回復(経済政策)」であり、女性・女系天皇論やLGBT、原発廃止云々などコンマ未満の些事にすぎません。
安倍首相は、マスゴミ連中の国民の政策ニーズとかけ離れ、まったく見当違いな政治経済観を指さし、その時代錯誤ぶりを厳しく批判すべきでしたが、所詮は彼も同じ穴の狢ですから、そこまで頭が回らなかったのでしょう。
それにしても、マスゴミ連中の経済観って、本当に世間一般レベルとは大きくズレていますよね。
日銀の「生活意識に関するアンケート調査」(第77回<2019年3月調査>)によると、一年前と比べた景況感について、
2018/9:「良くなった」7.4%、「悪くなった」20.7%
2019/3:「良くなった」4.8%、「悪くなった」24.0%
と、元々重症だったのに、わずか半年余りでさらに悪化しています。
また、「内閣府が1日発表した6月の消費動向調査で、消費者心理を示す消費者態度指数(2人以上の世帯、季節調整済み)は前月より0.7ポイント下がって38.7となった。前月を下回るのは9カ月連続。水準は2014年11月以来4年7カ月ぶりの低さだった。」(7/1日経新聞)といった具合に、経済環境や景気に関する指標は悪いものしか見当たりません。
なのに、記者クラブの党首討論の場で議論された経済課題は消費税率引き上げの話だけで、他の課題はスルーされ、マスゴミが強い関心を寄せたのは、憲法改正や身を切る改革、自衛隊が血を流す云々といった類いの、緊急性もレベルも低い問題ばかりでした。
国民は社会保障や景気問題に強い関心を寄せているのに、選挙に係る争点や情報を統制するマスゴミ連中は、そうはさせじと、憲法を護れだの原発を潰せだのアホ丸出しの大合唱で、経済問題の音量や声量を相対的に下げようと必死です。
国政選挙の立候補者のレベル低下が著しいうえに、それを報じる報道界の恣意的な情報制御や誘導が罷り通るようでは、まともな政治家の誕生を期待する方がどうかしています。
以前に、自ブログでも書いたことがありますが、私は、国会議員の選出方法に関して、選挙という消費期限切れかつ融通の利かぬシステムを廃し、
①国会議員定数を大幅に増員(現行の3倍程度)
②裁判員制度と同様に無作為に抽出
③再任を一切認めない
という制度に変えるべきだと思います。
一見乱暴なやり方に思えますが、国民の常識・良識・ニーズを国政へダイレクトに反映させることができるだけ、選挙という大雑把すぎるシステムより遥かにマシでしょう。
いまより多数の人材を国政に送り込むことにより、左巻きの連中が大好きな「民意」を汲み取れますし、新自由主義者が大好物の「民間の知恵」を注入することもできますよ。
何といっても、国会議員の地位にしがみつくことが目的化した“政治屋”を排除できまし、投票用紙に名前を書いただけで、有権者の意に染まぬ政策まで白紙委任を受けたかのように振る舞う政治屋の専横も防げますね。
まぁ、こんな提案は、バラマキ好きのうずらの野郎の戯言だと笑い飛ばしていただいても結構ですが、せめて、現行の選挙システムにおいて、完全比例制を敷き、無投票や白票の割合分だけ国会の議席を国民に譲り渡す、つまり、既存政党に与える議席は、有効票を含めた投票率で割った分だけとし、残りの議席は、国民から無作為に抽出した者に与えるというシステムに変えるべきです。
投票の権利を放棄する者は政治に口出しするなとのアホな意見も散見されますが、棄権も白票も、既存の政党や立候補者の不甲斐なさやバカさ加減に「NO」を突き付ける明確な意思表示ですから、そうした民意を政治の場から排除してよい理由にはなりません。
昭和の時代は70%超えが当たり前だった国政選挙の投票率も、平成時代に入ってから低落が続き、平成28年参院選は54.7%、平成29年衆院選は53.6%にまで落ち込み、50%を切る日も近いでしょう。
有権者の半数が投票を拒否るようでは、もはや、“選挙というシステム”そのものの命脈が尽きかけていると理解すべきで、「選挙=民主主義の根幹」という思い込みや古ぼけた慣習にしがみつき続ける暗愚さに気付かねばなりません。
“民”が見放した制度に、民主主義の大義を見出すことはできません。
私も前から全く同じことを考えていました。
今の民主主義というシステムを担保しているのはほとんど選挙しかないのですが、はっきりいって茶番ですよね。
コメントありがとうございます。
現行の選挙制度のバカバカしさを論じると、「投票率低下を目論み、与党有利に誘導している!」と激昂するアホもいます。
だいたい、他人の意見に惑わされ、特定候補に投票したり、投票を止めたりするような主体性の無い連中は、選挙権を返上すべきですよ。
自らの信じるところに従い、誰かに投票するもよし、棄権するのもよしです。
まぁ、いまの欠陥だらけの選挙制度を民主主義の鏡の如く崇めるのは、頭が足りない連中だと思います。
政党単位での選挙にした方がいいと常々思っています。
政党を法人化(政党法人?)して、法人登録された政党で全国区で選挙を行う。
有効投票数の得票率=議席(全500議席で得票率10%なら50議席獲得)にすれば死票はかなり減るから選挙に行く意義も強まる。
党員が10人程度でも票さえ稼げれば政権を取れるので候補者探し、資金集めに労力を使わなくていい。
純粋に政策で勝負できる余地が生まれると思う。
政党に民間からの人材が常に流入するシステムが前提なら、良い発想だと思います。