世界帝国唐とグローバリズム

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世界帝国に二度軍事占領された日本

日本は世界帝国に二度軍事占領された歴史を持つ。
1回目は663年の白村江の戦いの敗戦で、唐帝国の軍勢が九州太宰府に進駐した時である。
2回目は当然1945年の敗戦でのアメリカをはじめとした連合国の軍勢が日本に進駐した時である。
日本は唐帝国・モンゴル帝国・アメリカ合衆国により、三度亡国の危機に陥ったが、何とか切り抜けてこれた。

唐帝国軍による日本進駐について

唐帝国軍による白村江の戦い後の進駐の実態については知らない方が多いので書こう。
先ず、白村江の戦いの敗戦は大東亜戦争の敗戦に匹敵する大敗であった。
そのため、敗戦した日本側には唐と戦う力はなく、唐軍の進駐を受けることとなった。
669年に2000人の唐軍が日本の太宰府に進駐し、筑紫都督府と改称した。
そして、その占領は672年まで3年間続いた。
唐は同時期に高句麗と百済を滅ぼしたが、それぞれに平壌都督府と熊津都督府を設置していた。
つまり、GHQみたいな組織が九州に設置されたと言える。
占領軍は天智天皇に漢字使用令を発令させた。
これにより、文字が役人達に限定されるとは言え普及し、識字率が少し向上した。
そして、日本の都城や古墳も高句麗尺から唐尺を規準に改めさせ、日本の測量技術を向上させた。
その他、律令制度・官僚制度等様々な整備が日本占領軍の命令によって強制的になされた。
つまり、これらの政策は唐軍からの命令で行ったものであり、それがたまたま日本の再生に寄与したというのが真相である。
これらはアメリカやGHQの占領政策に似ている。
しかし、天智天皇は占領軍を以下のように評した。
「汝らの輩は、もとより七つの悪しきことを犯せり、常に汝らは謀りごとをもって事わざとなす」
つまり、占領軍は日本において悪しき占領政策や犯罪紛いのこともしていたようだ。
当時の占領軍にも、現在の在日米軍が時々起こす不祥事や犯罪、身勝手な行動も見受けられたと思われる。
テレビのニュースで在日米軍の不祥事が取り上げられることもあるが、いつの時代も変わらない。
ただ、米軍の進駐後と同様、唐軍の進駐後に戦後日本の再スタートを切れたという点では酷似する。
唐の日本占領軍は3年程で撤退を開始する。
撤退理由は、朝鮮半島情勢の悪化である。
朝鮮半島を巡って、唐と新羅の争いが激化し、唐軍が新羅軍によって朝鮮半島から叩き出されると、日本占領軍も形成不利と判断して日本撤退を決断したからである。

歴史は繰り返す。日本再生も繰り返す

さて、白村江の敗戦で唐軍の保障占領を受けた日本は、再生への道をひたすら邁進した。
大海人皇子は大友皇子に壬申の乱で勝利したが、大海人側は東国の軍勢を味方につけられたことが勝因であった。
白村江の敗戦で西国の兵力は弱体化しており、東国の兵力が勝負の決め手となった。
朝鮮出兵後の関ヶ原の戦いの勝敗同様に、西国の兵力弱体化が勝負を決したのだ。
こうして乱に勝利した大海人皇子は天武天皇を名乗り、国内の政治・経済の立て直しを開始した。
さて、再生を始めた新生日本は唐の優れた制度や技術は受け入れたが、ただ一つどうしても受け入れなかったものがある。
唐からの移民である。
日本には百済からの亡命帰化人が多少移住した程度に過ぎない。
あらゆるものを吸収した日本が、移民をあまり大勢入れていないのは興味深い。
ただ、天智天皇が唐人の犯罪や迷惑行為に怒っていたことを考えると、あまり移民を受け入れることに消極的だったと思われる。
もちろん、当時は日本より唐である中国の方が文化や生活水準が高かったことも考慮せねばならないだろう。
さて、その後の唐はグローバリズムを推し進め、漢民族以外の外国人系の人物も能力主義的に登用した。
能力主義はいつも上手くいくとは限らない。
例えば、織田信長は徹底した能力主義で明智光秀や豊臣秀吉らを採用し、織田家の勢力を爆発的に拡大した。
しかし、単純な能力主義は、能力の高く忠誠心の低い者達の反乱を招いた。
松永久秀・浅井長政・荒木村重ら様々な者の反乱を招き、最終的には大出世させた光秀による本能寺の変を招き、信長は自害に追い込まれた。
今日のアメリカみたいな世界帝国となった唐も、次第にグローバリズムと親和性の強い能力主義を採用し始めた。
その最もたるものは、ソグド人の如何わしい節度使である安禄山の登用であった。
朝廷の一部高官達は安禄山の忠誠心の無さを見抜いていたが、グローバリズムや能力主義や安禄山が取り入った楊貴妃にうつつを抜かしていた玄宗皇帝によって、唐帝国の運命を変えるには至らなかった。
案の定、安禄山による反乱が勃発、この後は唐帝国は国勢を傾けていった。
歴史を見れば、ローマ帝国・唐帝国・モンゴル帝国等のグローバリズム・能力主義に陥った世界帝国は、途中までは凄まじい勢いで発展するが、最後は必ず悲惨で豪快に崩壊している。
アメリカもこれらの国々とほとんど同じ状況だから、このままなら必ず同様の末路を迎える。
トランプがどこまでグローバリズムを軌道修正できるか、そこがわずかな一筋の光といったところだ。
今後もトランプに期待したい。
一方のグローバリズムと決別し、国内の政治・経済に注力した日本は、その後の平安時代で長い泰平の世に突入した。
天下を取った徳川家康もグローバリズムと決別し、平安時代のような長い平和の江戸時代を切り開いたが、自分の幼少や若い頃からの三河譜代の家臣を重宝する年功序列主義で忠誠心重視であった。
家康の場合、能力より忠誠心重視であった。
ここら辺の歴史の教訓に今こそグローバリストは学ぶべきだ。
馬鹿の一つ覚えに
「日本復活にはグローバル化しかない」
「日本復活には移民大量受け入れしかない
「日本復活には能力主義しかない」
と叫ぶ者共への処方箋は、過去の歴史の中に既に沢山あるのだ。

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阿吽

>しかし、天智天皇は占領軍を以下のように評した。
>「汝らの輩は、もとより七つの悪しきことを犯せり、常に汝らは謀りごとをもって事わざとなす」

確認を少ししましたが、上記の部分の言葉ですが・・、上記は天智天皇ではなく、その弟の天武天皇の、その即位6年(677年)におこなわれた、東漢直たちへの発言ですね。

  天武天皇(六十)東漢直の7つの罪・恩により許される – 日本神話・神社まとめ
  https://nihonsinwa.com/page/2317.html

しかし・・、今回の記事であらためて確認をしましたが・・、こちらは天智天皇の即位8年(669年)に唐から2000人もの勢力が、白村江の戦い以後に日本に対して派遣されていたのですね・・。

  天智天皇(三十六)河内直鯨は唐へ・郭務悰と二千人の使者
  https://nihonsinwa.com/page/2237.html

2000人での軍事行動は不可能でも、時の日本政府に対するかなりの威嚇にはなったかと思います。(50人や100人ならまだ兎も角、2000人もの外国人への食糧問題を1つ考えても、すごいことだと思います。)

こんなことがあったなんてことは、私は初めて知りました。

私がまったく知らなかった情報を、上記の部分で知ることができました。

ありがとうございましました。m(__)m

,
1つ気になりますのは・・、

>占領軍は天智天皇に漢字使用令を発令させた。

上記の原文ソースがどこだかわかりませんでした。

日本書記の天智天皇の即位前後には、上記のことに関しましてはいまいち確認が取れませんでした。

もしよろしければ、原文のソースの記述場所をご教授頂ければ幸いです。m(__)m

当ブログは2019年5月に移転しました。旧進撃の庶民